豊臣時代大坂城三の丸北端の石垣 |
NHK教育テレビ 「直伝 和の極意」22時から25分の番組での紹介で知り
写真を撮ってきました。
現地の説明板には下記のように書かれていました。(一部加筆)
「ドーンセンタ北側に大坂城石垣を移築、発見された当時のまま復元された
石垣が残されています。
豊臣時代の大坂城三の丸は豊臣秀吉の晩年慶長3年(1598)に大坂城の
防御強化のために造られました。その時に1万7千もの民家を城外へ
強制移転させたということらしいです。
1989年(平成元年)大阪府立女性総合センタ(ドーンセンタ)の建設に伴う発掘調査で、
地表より、約2m下のところで野図積みの石垣が東西約21mにわたって発見された。
現地の説明板に「現在の高さは最高で3.3mだが崩れ落ちている部分もあり、
高さは5m以上と推定される。
石は、生駒山系と六甲山系の花崗岩が用いられている。」
また上記のNHK教育テレビの番組では京橋口の馬出しがあった場所であること
このような積み方を野面(のづら)積みといわれているとのことでした。
場所は大坂城の北側ですが念のため地図を貼り付けておきます。
上の写真がドーンセンタ北側の大坂城石垣を移築復元したもの。
現在残っている大坂城の石垣は江戸時代に建設されたもので、大きな石で
高さも豊臣期のものより格段に高く積まれている。
上の写真は大手前高校敷地内で昭和61年から平成元年まで発掘調査された
大坂城三の丸跡で金箔押瓦などとともに場内の建物群の跡が発見されました。