妙法寺の宝篋印塔を写真紹介します。
撮影は2011-2-8
上の写真は妙法寺の本堂近くにある石造宝篋印塔で昭和46年4月1日に
兵庫県の指定文化財になったものです。
高さは2.02m。花崗岩で造られ 創建は応安3年(1370)2月23日
浄照という僧によって建てられたそうである。
南北朝時代の宝篋印塔の特徴である隅飾突起がやや反っているのが判る。
この塔は妙法寺より北の車村への道筋に建てられていたものを移築した
ものだそうである。
宝篋印塔は本来は教典の一つである陀羅尼経(だらにきょう)を収める塔
であったが、時代とともに供養等や墓碑塔として建てられるようになりました。
神戸市談309号 平成24年(2012)1月のPage38-39で妙法寺の住職の
加門得勇師が「宝篋印陀羅尼経」について詳細に記述されていますので
そのまま引用させていただきます。(2017-9-8加筆)
この塔の起こりは、紀元前3世紀のインドでアショーカ王が諸国に8万4千の仏塔
を建立して仏舎利を分納したという故事に習い、中国・呉越王・銭弘叔が995年
に8万4千の「金塗塔」を造り「宝筐印陀羅尼経」を納め諸国に配ったことに
始まる。この一つが平安時代に伝わり、これが日本の宝篋印塔の元になったと
考えられている。
「宝篋印陀羅尼」とは、正しくは「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」と言い
一切如来(金剛界五智如来)の悟りの真髄を説く神呪で四十句からなる。
これわ写経したり読誦したり、これを納めた宝篋印塔を礼拝すれば、成仏道を
妨げる悪行を滅する。あの世で地獄餓鬼畜生の世界に落ちる苦しみを免れる。
この世で寿命は延長し福徳は無尽となる。と、説かれる
この宝篋印塔は、元々、妙法寺にあった訳ではなく妙法寺村から車村へ通じる
二血筋の字中田と呼ぶ地の道路の東側の丘上にあったが道路の拡張のため丘が
壊されることとなり昭和19年(1944)12月に妙法寺に移設された。