神戸ハーバーランドにある八時間労働発祥之地 |
神戸ぶらり探訪(平清盛と高田屋嘉兵衛ゆかりの地 兵庫区南部地区
をめぐるの)の講演の部に参加のため神戸駅に来ていたが時間を
調整する必要があったので神戸ハーバーランドに寄りました。
その時に八時間労働発祥之地のモニュメントの写真を撮りましたので
写真紹介します。 撮影:2011-5-14
ムニュメントの側面の説明書きには下記のように記載されています。
大正八年(一九一九年) 当時の川崎造船所の松方幸次郎社長が我が国で
最初に八時間労働制を実施したことを記念してここに碑を建立した
平成五年(一九九三年)十一月
(社)兵庫労働基準連合会
制作者 井上武吉
川崎造船所時代1906年(明治39年)~1927年(昭和2年)に
1919年(大正8年)10月1日 兵庫工場でわが国初の8時間労働制実施された
経緯について川崎重工のHPで説明がありましたのでリンクさせていただきます。
8時間労働制の経緯(川崎重工HP)
当時10時間労働が当たり前の時代から画期的な8時間労働に移行させた
松方幸次郎の経営手腕には敬服させられます。
大正8年(1919)9月中旬に川崎造船所の本社工場の労働者たちは、賃上げや賞与支給
などの労働条件の改善を求めた要求を出しましたが松方幸次郎社長がこの要求に確定的な
回答を与えなかったため、これを不満とした職工たちが9月18日からサボタージュ闘争を
行いました。このサボタージュ(怠業)という手段は、新聞記者・村島帰之が提唱した
もので、彼はこの模様を手記に残しています。
争議はほぼ10日間続きましたが、松方幸次郎が8時間労働制の採用と戦時の歩増分の
本給繰り入れなどを提示したため9月27日に解決しました。
10月より兵庫分工場、葺合分工場、ついで本社工場において8時間労働制が実施。
大正8年(1919)の上記サボタージュ期間に会社と労働者側委員ととやりとりを記録した
『怠業中松方社長対職工側委員会見録』が残っており、2005年神戸大学付属図書館の
企画展示で公開されています。
詳細は下記のサイトで見れます。(大正10年の三菱・川崎大争議の資料も含む。
http://lib.kobe-u.ac.jp/www/html/tenjikai/2005tenjikai/catalog/zosen.html