奈良散策記 その4 橘寺 |
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Wikipediaからの橘寺の解説文は下記のとおりです。
「橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院。
正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音。
橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った
田道間守(たじまもり)が持ち帰った橘(みかんの原種)の実を植えたことに
由来する。
橘寺は574の聖徳太子誕生の地に太子自身が606年に創建したとされ
聖徳太子創建七ケ寺の1つである。
関連年表
538年 仏教伝来(一説では552年)
540年 大伴金村、任那問題で失脚
552年 蘇我稲目と物部尾輿が崇仏論争
562年 新羅が任那を滅ぼす
577年 百済より経論、律師、禅師、仏工、寺工渡来
585年 物部守屋等 仏寺、仏像などを焼き捨てる
587年 崇仏派の蘇我馬子が物部氏を滅ぼす
588年 蘇我馬子が飛鳥寺の造営を開始
592年 蘇我馬子が崇峻天皇を謀殺
推古天皇即位
593年 聖徳太子が摂政となる、四天王寺建立開始
594年 仏教興隆の詔
600年 第1回の遣隋使を派遣
622年 聖徳太子死去

上の写真は明日香村が作成した飛鳥京絵図の中から橘寺付近をトリミングした
もので現在よりはるかに壮大な規模の寺であった。
様式は四天王寺式

上の写真は橘寺の境内にあった案内板からの写真で赤色で昔の伽藍や回廊が
示されています。

上の写真は橘寺の遠景です。

上の写真は経堂です・

上の写真は観音堂です。

上の写真は護摩堂です。

上の写真は本堂(太子堂)です。

上の写真は「三光石」と「阿字池」である。聖徳太子が勝鬘経の講義を行った際、
冠が日・月・星の光を放ったとされている。

上の写真は鐘楼の鐘。

上の写真は往生院。

上の写真は往生院の中の天上に描かれた華の天上画

上の写真は収蔵庫。手前には回廊跡が残っています。

上の写真は二面石 。
右が善相、左が悪相の二面が彫られており、人の心の二面性を表現しているという。

上の写真は蓮華塚(畝割塚)。
勝鬘経(しょうまんきょう)講義の時、降った蓮の華を埋めたところと伝えられている。
645年の大化の改新の折、これを一畝(36坪 約100㎡)と定め、田畑を整理した。