奈良散策記 その6 石舞台古墳 |
撮影:2011-5-16
概説 By Wikipedia
石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。
1952年(昭和27年)3月29日、国特別史跡に指定される。
元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、
巨大な石を用いた横穴式石室が露出する。
埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。
被葬者 By Wikipedia
被葬者は蘇我馬子であったとする説が有力である。『日本書紀』の推古天皇34年(626年)
5月の条に「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る」とあり、大臣は、蘇我馬子を指している[*1]。
封土が剥がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する懲罰ではなかったかとする説もある。
*1 『日本書紀』巻第22、推古天皇34年5月丁未(20日)条。
新編日本古典文学全集『日本書紀』2の589頁。
ただし、異説があり、奈良大学の水野正好は、石の種類、築造年代などから蘇我稲目説を唱えている。
尚、蘇我馬子は 生年不明~626年死去
根拠:日本書紀 推古34年(626)夏5月の条



上の3枚の写真は石舞台の外側からの写真です。
小学生、中学生の団体がひっきりなしに見学に来ているようです。

玄室内部の写真です。

裏側から撮った石舞台古墳の外観です。

上の写真は説明板でどうように造営されたかをわかりやすく解説されている。
石舞台古墳に関して古くから研究が進められているその一端を紹介する。
文政12年(1829)の津川長道の「卯花日記」では、蘇我馬子の墓ではないか
という考察が加わっています。
明治45年(1912)喜田貞吉氏により蘇我馬子の桃原墓と推定されている。
昭和8年(1933)~昭和10年(1935)の発掘調査で一辺約50m方形の墳丘、約8.4mの堀、
さらに外堀が存在すること、古くから水田に露出していた巨石は石室の天井石で
埋葬施設であることが判明。浜田耕作博士を指導者として末永雅雄先生が発掘調査を担当。
6世紀代の小古墳を壊して築造されていたことなどが確認されており、
その上で築造は7世紀初め頃と推定されています。
玄室の大きさは長さ7.5m 幅3.4m 高さ7.7m 大小30数個の花崗岩が使用されており
総重量2,300t 最大の石材の重さは約77t
以下は石舞台古墳に関するリンクです。
国営飛鳥歴史公園
(財)明日香村観光開発公社
JRおでかけネット
京都大学研究資源アーカイブ公開記念「石舞台古墳 発掘の記録」
春日野奈良観光
蘇我氏
蘇我馬子邸宅跡現地説明会
蘇我馬子

















