奈良散策記 その11 第29代欽明天皇陵 |
欽明天皇の解説 By Wikipedia
欽明天皇(きんめいてんのう、継体天皇3年(509年) - 欽明天皇32年4月15日
(571年5月24日))は、第29代天皇(在位:宣化天皇4年12月5日(539年12月30日)
- 欽明天皇32年(571年)4月15日)。
和風諡号は天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)。
別名、志帰嶋天皇・斯帰斯麻天皇(いずれも「しきしまのすめらみこと」と呼ぶ)。
この代に、百済より仏教が公伝し、任那が滅亡した。

上の写真は北に向かって駐車場や説明板の歩いて行く時に撮ったものです。
6世紀後半に築造の前方後円墳 全長140m 前方部の幅 107m 後円部 直径72m
この写真の左側(西側)が前方部で右側(東側)が後円部
明日香村では唯一の前方後円墳だそうです。
住所は 奈良県高市郡明日香村平田字梅山(むめやま)
地図を添付しておきます。
陵名は檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)。
平田梅山古墳とも言われ、周濠は幕末(文久年間)の修陵事業によって造られたもので
以前は双円墳だったとも言われています。
日本書紀によれば、欽明天皇は571年4月、63歳で崩御し9月に檜隈坂に葬られた。
推古20年(612)2月に欽明天皇の妃で推古天皇の母、堅塩媛(きたしひめ)を合葬し、
軽の巷に誅るとある。さらに、推古天皇28年(620)10月には、砂礫を檜隈陵の上に葺き、
土を積みて山を成し、氏ごとに科して大柱を土の山の上に建てしむとある。
軽の巷は、現在の丸山古墳の北に接する地域に位置していることから丸山古墳が
欽明天皇陵だとする説も有力である。
現在も丸山古墳の北側に軽寺跡が残されています。

上の写真は正面の小高い丘から撮った欽明天皇陵の拝所と正面写真である。

上の写真は飛鳥周遊歩道から撮ったものです。

















