神功皇后祠出土地の碑 |
を見つけましたので紹介します。
場所は神戸市灘区岩屋中町5-2-31 のマンションの植え込みの中です。
この場所の地中にあったようですが、現在は神功皇后が摂政元年(201)に
創建したと伝えられている敏馬神社に保管されているそうです。

写真の撮影日:2011-6-17
2015年7月3日に敏馬(みぬめ)神社に行って神功皇后祠の写真を撮って来ました
ので再掲紹介します。

昭和13年に上記の場所から出土し敏馬神社に保管を委嘱されたものです。
石柱の建設された年代は室町期と言われています。
神功皇后についてWikipediaより引用させていただきます。
神功皇后(じんぐうこうごう、成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日)は、14代
仲哀天皇の皇后。『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・
『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・
大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后。
父は開化天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天日矛裔・
葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。応神天皇の母であり、
この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。弟に息長日子王、妹に虚空津比売、
豊姫[2]あり。三韓征伐を指揮した逸話で知られる。

ここに祀られている石灯籠は寛文13年(1673)奉納の銘があります。
敏馬神社に現存する石灯籠の中で一番古いものだそうです。

















