王塚古墳 on 2011-6-23 |
撮影:2011-6-23
王塚古墳の基本情報
名称:王塚古墳 (別名:吉田王塚古墳、玉津古墳、檜笠岡王塚古墳)
所在地:兵庫県神戸市西区王塚台3丁目
大きさ:全長102m、高さ8m 形式:前方後円墳
建設時期:5世紀末から6世紀初め頃
現地の説明板よりの引用
吉田地区の区画整理の際、史跡公園として整備された。
公園の中央部には周濠を持つ、全長100mの前方後円墳である王塚古墳がある。
日本書紀によると602年聖徳太子の弟当麻皇子の妃舎人姫王が病死しこの塚に
葬られたということから、現在陸墓参考地となり、宮内庁の所有となっている。
舎人姫王は欽明天皇の皇女
上の写真は王塚公園の正面(北側)から見た王塚古墳の写真です。
上の写真は王塚古墳と周濠。
兵庫県内の前方後円墳について若干記載しておきます。
県内で最大のものは194mの五色塚古墳
2番目は雲部車塚古墳(篠山市)の158m
以下 142mの壇場山古墳(姫路市)、141mの池田古墳(朝来市)
106mの玉丘古墳(加西市)
王塚古墳より規模は小さいが98mの行者塚古墳(加古川市)、
90mの茶すり山古墳(朝来市)なども大きな古墳です。
上の写真は王塚公園の史跡公園としての整備も含めた玉津土地区画整理事業の
完成記念碑である。昭和49年(1974)5月宮崎辰雄市長の時代に完成。
吉田、森友、出合の地区は王塚台、枝吉、森友、持子の町名に変更されました。
区画整理の面積は163万㎡に及んだ。
上の写真は王塚公園の正面(北側)の入口に設置された竹中郁の詩の石碑。
竹中郁(1904-1982)は神戸市生まれの詩人で神戸二中から関西学院に進み
昭和3年に渡欧。2年後に帰国し詩集「象牙海岸」を昭和7年に発表。
堀辰雄の詩集「四季」に参加。
作品には詩集「署名」昭和11年、「龍骨」昭和19年、「動物磁気」昭和23年などがある。
上の写真は神戸文学館に展示されている竹中郁の部屋。
壁にかけてあるの絵画はすべて竹中郁の作品。
小磯良平とともにヨーロッパ各地を巡っている。