2011年 07月 17日
東大番所跡と宮川大橋 津山散策 その4 |
東大番所跡と宮川大橋を写真紹介します。
撮影:2011-7-13

上の写真が東大番所跡です。吉井川の支流である宮川にかかる宮川大橋の西詰めに
あります。説明書きより引用させていただきます。
「江戸時代、城下町の出入口には軍事面と治安維持の必要から番所が
置かれていました。
津山藩では1678年(延宝6年)、城下を貫通する出雲街道の東西の2ヶ所の
入口にそれぞれ大番所を設置して番兵を常駐させていました。
宮川大橋の西詰めのこの地には東大番所があり、また宮脇町の翁橋東詰には
西大番所がおかれていました。
これらの番所を境に城下を内町と外町に分けて従来の取締まりを行っていました。」

上の写真は宮川大橋の張り出し部(三の間?)です。
私の生まれ故郷京都の宇治橋の場合三の間と呼ばれており、お茶用水がここから
汲まれる儀式が昔から実施され伝統行事となっています。この宮川大橋の場合も
何か風情があり自然とシャッターを切ってしまいました。
橋の欄干の擬宝珠も風情があるまのでした。

上の写真は宮川大橋から見た津山城の遠景です。
東大番所跡の場所の地図を添付しておきます。
撮影:2011-7-13

上の写真が東大番所跡です。吉井川の支流である宮川にかかる宮川大橋の西詰めに
あります。説明書きより引用させていただきます。
「江戸時代、城下町の出入口には軍事面と治安維持の必要から番所が
置かれていました。
津山藩では1678年(延宝6年)、城下を貫通する出雲街道の東西の2ヶ所の
入口にそれぞれ大番所を設置して番兵を常駐させていました。
宮川大橋の西詰めのこの地には東大番所があり、また宮脇町の翁橋東詰には
西大番所がおかれていました。
これらの番所を境に城下を内町と外町に分けて従来の取締まりを行っていました。」

上の写真は宮川大橋の張り出し部(三の間?)です。
私の生まれ故郷京都の宇治橋の場合三の間と呼ばれており、お茶用水がここから
汲まれる儀式が昔から実施され伝統行事となっています。この宮川大橋の場合も
何か風情があり自然とシャッターを切ってしまいました。
橋の欄干の擬宝珠も風情があるまのでした。

上の写真は宮川大橋から見た津山城の遠景です。
東大番所跡の場所の地図を添付しておきます。
by seiyo39
| 2011-07-17 17:40
| その他地域散策記
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