千代稲荷神社 津山散策記 その5 |
撮影:2011-7-13

千代稲荷神社の入口に昭和52年(1977)1月吉日に千代稲荷神社奉賛会によって
書かれた説明書きがあります。その由来書より引用させていただきます。
「千代稲荷神社由来記
承平四年九月十九日(人皇六十一代朱雀天皇の御代)是の日、天気清朗で、お山は錦に
輝き、山頂にある八幡様の大杉は天を摩し、神樹として辺りに威を放って居りました。
里人は、手に手に御酒を携え、境内に集まり、種々のお供を奉げ、豊穣をお祈りし、
酒を酌み交わして居りました。丁度その時、一羽の鶴が、矢のように穹天より舞い降りて、
大杉の天辺に止まりました。里人は手を拍って大いに喜び、この鶴をよく見ますと、嘴に
一把の稲を啣えて居りました。やがて瑞鳥は、人々の頭上を、大きな輪を画いて舞い遊び、
其の稲を神前に落すと、東へ指して翔け去りました。里人は、之を祥慶を招くものと深く
珍重し、この籾を翌年、神田に植えたところ、畦が隠れる程の収穫がありました。
里人は大へん悦んで、大杉に五穀の神が降臨されたものとして、壇を築いて鶴の千歳を
冠し、千代稲荷神社とあがめ、五穀の神、倉稲魂(ウガノミタマ)之命を御祭神として
お祀り致しました。そして此の大杉のある山を鶴山と呼び、毎年神田で穫れた新米を
御供えするのが習わしとなりました。
森忠政が築城の折、一時城南の覗山に遷し、後に山北の八子に移されましたが、
寛永十一年森長継公の時、「鶴山に遷れば永世城の鎮護とならん」との夢の神告により、
神祠を城郭の北隅の石垣の下(現在の地より五丁程上の処)に遷し奉り、神殿を新たに
造営して上下一同篤く信奉致しました、
殊に森公により、城の守護神として、現在の地に祭祀されてより、歴代の城主・庶民の
篤き信仰をうけて来ました。
津山の発展のために御降臨下さった千代稲荷神社、城の守護神である千代稲荷神社は、
津山市発展の為の生産の神であり、市民の守り神であって、単なる稲荷信仰とは
違うのであります。今日、城山の重要性が強く認識され、之が開発は、津山市発展の
根元と云われて居りますが、城山の開発、市の発展は、先ず守護神である千代稲荷神社を
尊崇するところであります。」

上の写真は千代稲荷神社より見た宮川の清流。

















