神戸市兵庫区願成寺に眠る平通盛と小宰相局の五輪塔 |
中心に写真紹介します。
撮影:2011-3-14
願成寺の基本情報
住所:神戸市兵庫区松本通松本通2-4-11
TEL:078-511-2788
宗派:浄土宗 山号:上埜山(じょうやさん)
本堂の扁額に上野山ではなく上記の字が書かれていた
小宰相局の念持仏であった延命地蔵も安置されています
願成寺(がんじょうじ)の地図はこちら。湊川公園や兵庫区役所が近くにあります。
行基により開山。天平年間(729~748)に創建。
創建当初、願成寺は烏原村住蓮坂の北手(現在の烏原水源地)島原谷の
左岸にありました。また聖徳太子作の観音自在菩薩(現存)を安置し、
観音寺と号されていました。
明治30年(1897)烏原水源地の設置により現在地に移転した。
住蓮坂は、石井村や夢野村から烏原村への道であった。
住蓮坂の名前の由来は中興した住蓮上人(法然の弟子の一人)の名前による。
上の写真は松本通り側から見た門と本堂の遠景です。
門の周辺には浄土宗 願成寺の石碑と 信州善光寺分身如来霊場の石碑があります。
上の写真は願成寺のです。本堂
上の写真は本堂の装飾で非常に立派なものです。
謡曲「通盛(みちもり)」に登場する平通盛と小宰相の局(こざいしょうのつぼね)の五輪塔がある。
中興した住蓮上人(中央)の右横にある2つの石塔が平通盛(右)と小宰相の五輪塔(左)です。
平通盛についてWikipediaによる解説
仁平3年(1153年)~寿永3年2月7日(1184年3月20日) 享年32歳
平家物語によれば、山手を守っていた平教経(たいらののりつね)の兄の平通盛(たいらのみちもり)は
東に向かい湊川の下で佐々木源三盛綱(木村成綱)、玉井助景らに囲まれ討ち死にした。
小宰相についてWikipediaによる解説
通盛に15で見初められ、19で入水した小宰相の局の悲話は平家物語 第九巻 小宰相身投で
詳細に書かれています。
「南無西方極楽世界の教主、弥陀如来、本願あやまたず浄土へお導きください、
まだ飽きないうちに無理に引き裂かれた仲の私どもでございます。必ず同じ蓮の上へ
お迎えください」と言って鳴門の海に投身自殺したのが小宰相の局です。
小宰相の局に仕えていた乳母の呉葉は通盛の弟で僧侶になっていた中納言律師仲快
のもとで剃髪出家して、通盛と小宰相の菩提を弔った。
呉葉は願成寺を中興した住蓮上人の義妹であったためと謂われています。
仲快についてWikipediaによる解説
上の写真は阪神淡路大震災で破壊した松虫・鈴虫と小宰相の乳母の呉葉、あわせて三基の塔と
他の供養塔の残片だと思います?。
小宰相の墓は投身自殺した鳴門の海の近く 鳴門市鳴門町土佐泊にあるようです。
この墓を紹介したサイトへのリンク
ご指摘ありがとうございます。私の調査ミスで和歌山県海南市別所の願成寺 木造千手観音坐像が昭14.9.8に国指定の文化財になっており混同して間違った記事を書いてしまいました。お詫びするとともに訂正(削除)しました。また、札所の観音様は聖観世音菩薩です。素人とはいえ正確な記述をしなければいけないと心がけていますが誤記もあるかと思います。このような指摘をいただき感謝しております。こんごともご指導を宜しくお願い致します。
関係ない話かも知れませんが
毎日新聞発行、文化庁監修の重要文化財総目録(昭和50年5月20日発行)彫刻編より神戸市内で重要文化財になっているものをリストアップしておきます。
太山寺(西区)木造阿弥陀如来坐像、多聞寺(垂水区)木造阿弥陀如来坐像、日光及び月光菩薩立像、転法輪寺(垂水区)木造阿弥陀如来坐像、福祥寺=須磨寺(須磨区)木造十一面観音立像、妙法寺(須磨区)木造毘沙門天立像、清涼院(北区)木造波夷羅大将立像、善福寺(北区)木造聖徳太子立像、薬仙寺(兵庫区)木造薬師如来坐像、能福寺(兵庫区)木造十一面観音立像、多門寺(北区)木造毘沙門天立像・木造吉祥天立像・木造地蔵菩薩立像、無動寺(北区)木造大日如来坐像・釈迦如来坐像・阿弥陀如来坐像・木造不動明王坐像・木造十一面観音立像、大龍寺(中央区)木造菩薩立像、歓喜寺(中央区)木造十一面観音立像、香雪美術館(東灘区)木造薬師如来立像です。