海泉寺にある尼崎藩2代藩主 青山幸利の報謝碑 |
撮影:2011-8-22
海泉寺の基本情報
住所:神戸市長田区駒ケ林町3丁目10-1 TEL:078-611-1241
この報謝碑は青山幸利の善政に感謝して領内の村民が建てたものです。
青山幸利は人材登用、新田開発、治水事業などで功績があった。
耳学問に熱心であったとも言われています。
墓は神戸市中央区楠町の安養寺にあります。
上の写真が報謝碑。
青山幸利の解説 By Wikipedia
青山 幸利(あおやま よしとし)は、摂津尼崎藩の第2代藩主。
元和2年(1616年)、初代藩主・青山幸成の長男として生まれる。
寛永20年(1643年)に父が死去したため、家督を継いで第2代藩主となる。
このとき、父の遺言で弟たちに合わせて6000石を分与したため、尼崎藩は
4万8000石となった。
万治2年(1659年)2月21日に奏者番に任じられる。
延宝5年(1677年)、畿内・播磨における天領の検地を務めた。
藩政では名のある浪人を登用して家臣団の刷新を行ない、治水事業を行なっている。
貞享元年(1684年)8月2日に死去。享年69。長男の幸実は病弱だったために
廃嫡し、幸実の長男の青山幸督が跡を継いだ。
報謝碑のある場所を上の写真で示しました。
湯川秀樹博士の位牌が収められたお堂の左手にあります。
海泉寺については過去の小生のBlogをご覧ください。
海泉寺の紹介2
2011年8月22日の海泉寺の門(法燈が架けてありました)と本堂の写真も
アップしました。(下の2枚の写真)