1995年世界遺産登録 イタリアのクレスピダッダ Crespi d’Adda |
クレスピダッダの紹介があった。
世界遺産 一万年の叙事詩
第8集「インダストリー 〜進化の100年〜」の中で紹介されたものである。
労働者が酷使されがちだった時代、ここでは、快適な労働環境が徹底して追求された。
また、世界水準の最高品質を目指していた。労働者の生活は、庭付き一戸建て、
料理学校、さらには、劇場や、プールまで、至れり尽くせり。
工場の経営者クレスピ一族がすべて無償で提供していたのです。
クレスピダッダ Crespi d’AddaのWikipediaによる解説
クレスピ・ダッダ (Crespi d'Adda) はイタリア共和国ロンバルディア州ベルガモ県
カプリアーテ・サン・ジェルヴァージオというコムーネにある、労働者のための
町の名前である。
19世紀にクリストフォロ・ベニーニョ・クレスピにより労働者のための理想郷として
アッダ川とブレンブロ川が合流する三角地帯に建設され、
1995年に世界遺産に登録された。
詳細はこちら。
1875年にクリストフォロ・クレスピ Cristoforo Benigno Crespi が1平方Kmの
土地を購入し、そこに綿織物の工場を建設した。
彼は、工場で働く従業員とその家族の為に、
国がまだまだ提供できなかったサービスをこの村では提供していた。
職場・庭と家庭菜園付一戸建て住宅・学校・教会・プール・・・墓場
とあらゆるものがそろっていたのだ。
しかしこの理想郷も1920年代末には時代の波を受け、終わりを告げる事に。
(ムッソリーニに弾圧されたことによる。)
上の写真はクレスピダッダ の町並み。
上の写真は初代のクリストフォロ・クレスピ Cristoforo Benigno Crespi と
二代目のシルヴィオ・クレスピの肖像。
上の写真は工場の全景。
上の写真はクレスピダッダ の中の教会。
上の2枚の写真は工場内の様子(操業当時)。
上の写真は現存する工場棟。
上の写真は工場内の様子(操業当時)。
Google地図
UnescoのHPで紹介されているCrespi d’Adda
AB-Road エイビーロードのHP(トップページ)
画像データ Wikimedia Commons
日本では富岡製糸場がありますが、明治時代女工哀史で象徴されるように日本では
苛酷な長時間労働が強いられていたが、ここ富岡製糸場ではきっちりと8時間労働
よなっており、士族出身の女工が全国に富岡製糸場で習得した技術を伝授し
経済大国日本のさきがけとなった。
富岡製糸場については小生も訪問したことがありますので、紹介Blogにリンク
しておきます。
小生のBlog(富岡製糸場)の紹介