長浜散策記 その4 長浜城 |
長浜城の解説 By Wikipedia
1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から
浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の
名から一字拝領し長浜に改名した。
小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠されていた材木などを
見つけ出し、それらを使用し築城を開始した。
同3・4年頃完成し入城。湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りができる
ようになっていた。城下町は小谷城下(滋賀県長浜市湖北町伊部)からそのまま移した。
そのため、現在でも城下町には当時の面影や名残がある。秀吉が最初に築いた居城で
あり、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した所でもある。
現在の建物は長浜城歴史博物館として昭和58年(1983)犬山城や伏見城をモデルにし
模擬復元されたもので三層の鉄筋コンクリート5階建である。
上の3枚の写真は長浜ロイヤルホテルから撮った長浜城。
長浜は古く今浜と呼ばれ、京極道誉が築城した。 天正元年(1573)、織田信長は
浅井長政を滅ぼすと、浅井氏の旧領湖北12万石を羽柴秀吉に与えた。
秀吉は、交通の不便な小谷城を廃して、今浜城跡に新城を築き地名も
今浜から長浜に改めた。
上の写真は天正5年(1577)頃の長浜城天守閣付近の想像図である。
JR長浜駅の西側の説明板に書かれていたものから撮った写真です。
今は埋め立てられた琵琶湖岸の地形を上手く利用して堅固な城が築かれていた
ものと想像できる。
上の写真は長浜城歴史博物館での企画展のポスターで浅井三姉妹をテーマに今年の
12月4日まで開催される予定である。
上の写真は知善院の表門で、長浜城の搦手門を移したものと伝えられている。
用材が太いこと、本扉の太い格子造りなど城門らしい特徴が残されている。
知善院は天台宗真盛派の寺で元は小谷城下にあったが、羽柴秀吉が現在地に
移築したものと伝えられている。
長浜城歴史博物館の公式HP
長浜城周辺には上の写真のように各地に石碑があります。上は長浜城御殿跡。
上の写真は長浜城御馬屋跡の石碑。
上の写真は長浜城家臣団屋敷跡の石碑。
長浜市では現在でも豊臣秀吉公をこよなく愛する市民が多く、各地にその足跡が
見られるように思いました。