神戸市立清風公民館公開講座Ⅱ 平清盛と兵庫を受講して |
講演会がありました。その内容について憶えのために簡単に記しておきます。
神戸市の記者資料提供(平成23年9月12日)より基本情報を
引用させていただきます。
趣旨:神戸市立清風公民館では年3回どなたでも参加いただける公開講座を
開催しています。
今回は、その2回目で神戸市立博物館の問屋真一氏にお越しいただき、
「平清盛と兵庫」をテーマにお話をしていただきます。
来年には、NHK大河ドラマ「平清盛」が放送されますが、清風公民館の近くの
雪御所町(兵庫区)は、清盛の別荘「雪見御所」の跡といわれています。
また、兵庫区には清盛関係の史跡もあり、そのことにちなんだお話も
していただく予定です。
テーマ:「平清盛と兵庫」 ―清盛ゆかりの兵庫地区 そして、この地に都を―
講師:神戸市立博物館 問屋真一氏
上の写真は清風公民館が作製したリーフレットの写真です。
上の写真は公開講座の様子です。
3階の体育館で100人の定員ほぼ満員の盛況ぶりでした。
さて、肝心の講演の中身についてですが、小生が書いた関連事項も交えて記していきます。
1.平清盛(1118-1181)の人物像
平家物語の中の清盛像
王法・仏法に対する悪行
具体例として 院・摂関家への種々の悪行、京都から福原へ強引な遷都
東大寺(南都)の焼き討ち、
強訴の比叡山僧侶の神輿(しんよ)に矢を放つ
肯定的記述 慈心房 清盛は乱暴者だと思うのじゃが、第18代の天台座主
であった慈恵僧正の生まれ変わりである
祇園女御 ご落胤説
築島 人柱の否定 (松王丸伝説)
2.清盛の都市計画
歴史地理学者の足利健亮氏作製の上の地図をもとに説明されました。
計画はペーパープランにすぎず治承4年(1980)4月6日に福原遷都されたが、
同年の6月15日には放棄された(玉葉の記載による)
祇園遺蹟の発掘物に関する説明がありました。
これにつきましては小生のBlog(中世の港湾都市神戸)も参照してください。
非常に希少な陶器の中国の広西省で作陶された玳玻(たいひ)天目小碗も
展示されていました。
楠・荒田町遺跡の写真の説明もありました。
これに関しても小生のBlog(楠・荒田町遺跡)にリンクしておきます。
3.清盛はどこに眠るのか
1)清盛塚
兵庫区切戸町南端の道路沿いに清盛塚と呼ばれる花崗岩製の十三重の石塔が
あります。伝承では清盛の遺骨を供養するために造られたものという。
もともとは現在より南西11メートルの場所にありましたが大正12年(1923)に
旧神戸市電の道路拡張工事に伴い現在の位置に移転しました。
その際に発掘調査が行われましたが墳墓ではないことが確認されました。
こちらについても小生のBlog(史跡清盛塚 )を参照ください。
2)能福寺
平清盛公墓所 八棟寺殿 平相國廟の写真を使用して説明がありました。
平相國廟の中央が十三重の塔、右手奥に円実法眼宝篋印塔、左手奥に忠快法印塔(九重塔)
これにつきましても小生のBlog(平清盛公墓所 八棟寺殿 平相國廟)を参照
願います。
3)山田法華堂
清盛の遺骸は京都の愛宕(六波羅館の近くの珍皇寺)で荼毘にふされた。
遺骨は円実法師が首にかけ摂津にくだり山田法華堂(神戸市垂水区)に
納められたと吾妻鏡、平家物語に記されています。
講師の問屋真一氏より神戸市立博物館で来年2月25日(土)~4月8日(日)に
特別展 NHK大河ドラマ50年 平 清 盛があるとのPRもありました。
来年の大河ドラマの撮影は8月から始っており9月には広島県呉市の
音戸瀬戸付近の海でロケがあったとのExciteの報道もありました。
加藤浩次が海賊姿を初披露!「平清盛」大河史上最大規模の海上ロケで松ケンと対決
2011-9-13
神戸市でもKOBE de 清盛2012の準備が着々と進んでいます。
参考として平清盛のNHK公式HPへもリンクさせていただきます。
兵庫県の龍野市の室津でも平清盛をテーマにした活動をされています。
平清盛は、厳島参拝の途中、たつの市御津町室津に立ち寄った際、賀茂神社に参拝した
という文献が残っています。
平清盛ゆかりの地「室津」を訪れてみませんかこのような内容のサイトです。