神戸市の国宝 |
これらを整理して写真紹介します。
建造物
1.太山寺 本堂 1棟
昭和30年(1955)6月22日 国宝に指定
Wikipediaによる解説を引用させていただきます。
太山寺(たいさんじ)は兵庫県神戸市西区にある天台宗の仏教寺院。
山号を三身山(さんしんざん)と称する。本尊は薬師如来と十一面観音、
開基(創立者)は藤原宇合(ふじわらのうまかい)と伝える。
「播州太山寺縁起」によれば、元正天皇の勅願寺として716年(霊亀2年)に
発願者である藤原鎌足の孫の藤原宇合が堂塔伽藍を建立したとされる。
開山(初代住職)は藤原鎌足の長男・定恵(じょうえ、「定慧」「貞恵」とも書く)と
されている。創建時の建物は1285年(弘安8年)の火災で焼失しており、
現存する建物はそれ以降に再建されたものである。
本堂の建物は和唐折衷様式、柱真々間正面20.82m・側面17.76m
太山寺の住所:神戸市西区伊川谷町前開 224
公式HP 小生のBlog(2009-11-23訪問記)
新西国三十三箇所25番、神戸十三仏4番、神戸六地蔵1番、播州薬師霊場1番
明石西国26番、明石西国新23番(龍象院)
太山寺をテーマとした小生のBlog
書籍
2.賢愚経残巻(けんぐきょうざんかん)(大聖武)(2巻) 白鶴美術館所蔵
昭和39年(1964)5月26日 国宝に指定
賢愚経は賢者と愚者の比喩を論じた経巻である。写真の上の方は甲巻で461行の文書と
なっています1行に11字から13字書かれています。紙は香料を漉きこんだ荼毘紙。
3.大般涅槃経集解(だいはつねはんきょうしゅうげ)(71巻) 附大般涅槃経後分(2巻) 白鶴美術館所蔵
昭和40年(1965)5月29日 国宝に指定
大般涅槃経は釈尊入滅の前後を歴史的に描いた経巻である。
西大寺宝塔院に伝承していたもので、奈良時代の写経54巻、平安時代初期2巻
鎌倉時代補写経7巻、さらに江戸時代補写経9巻で合計71巻となっています。
考古資料
4.桜ヶ丘 銅鐸 14口、銅戈(どうか) 7口
昭和45年(1970)5月25日 国宝に指定 神戸市立博物館蔵
上の写真は企画展「神戸考古学 BEST50」 平成18年7月22日発行
神戸市教育委員会文化財課発行 神戸市埋蔵文化財センター編集のPage1より引用
昭和39年(1964)12月に神戸市灘区桜ヶ丘町の丘陵で土取り工事中に出土したもので、
袈裟襷文(けさだすきもん)が11口
流水文(りゅうすいもん)が3口
大きさは一番大きい6号で高さ64.1cm、一番小さい14号で高さ21.3cm
他は高さ43cm前後のものが多いようです。
1,2,4,5号銅鐸には人物、鹿などの動物、昆虫などが描かれた絵画銅鐸です。
銅戈(どうか)7本は長さ27.1~28.9cmでほぼ大きさがそろっており、樋(ひ)を
複合鋸歯(きょし)文で飾った大阪湾型銅戈である。
大きさのデータは文化庁監修重要文化財28考古1昭和51年毎日新聞発行より引用
神戸市内で初めて銅鐸が発見されたのは昭和3年の投上(投ケ上)(なげあげ)である。
投ケ上は明舞団地に入る奥の池橋の南側にある場所である。
現在の住所では神戸市垂水区舞子坂