河原兄弟の墓 on 2011-9-22 |
撮りましたの紹介します。
撮影:2011-9-22
寿永3年(1184)2月7日に起こった源平生田の森・一ノ谷合戦で一番乗りの功名
手柄を立てたことで知られる源氏方の河原太郎高直と次郎盛直の河原兄弟 は
上記の生田の森・一ノ谷合戦で真名辺五郎の弓によって射られ討ち取られて
しまいました。
この先陣によって源氏軍が攻撃を開始しますが、この河原兄弟の功に対して
源頼朝が報恩寺を建立したと謂われています。(能福寺文書)
報恩寺は天正年間」(1573-1592)の兵乱で消失してしまいました。
三宮センター街の柳筋付近に河原兄弟の塚と馬塚が明治まであったが
神戸開港以後 土地の発展につれてその塚は惜しくも跡を失ってしまった。
太平洋戦争(15年戦争)の後この跡地に祠が建てられ、その後三宮神社に
移設され現在に至っている。
上記の河原霊社については小生のBlogを参照ください。

普照寺文書によると文化2年(1805)には文字が読めないほどに風化していた
墓碑を河原兄弟の子孫の京都の河原友七郎実直が再建した。明治12年(1879)頃
追谷墓地に移転された。
追谷墓地の住所:神戸市中央区神戸港地方字堂徳山
地図はこちら
川原兄弟の史跡は上記の追谷墓地の墓と河原霊社の他に小野神社があります。
小野神社については小生のBlogを参照ねがいます。
最後に追谷墓地からの神戸市の市街地の景観の写真を載せておきます。
