神戸市垂水区の小学校の歴史 |
明治のはじめ明治19年(1886)の4月旧来の教育令が廃止され小学校令
が公布され、これが基盤となっていることは周知のとおりである。
神戸においては一番古い小学校は現在の神戸市立明親小学校です。
明親小学校は明治元年(1868)6月10日に開校の兵庫学校が前身でのちに
明親館と伊藤博文により命名。明治5年(1872)の学制発布で、兵庫第6小学校
として明治5年10月13日にスタートを切りましたその後、明治6年(1873)8月
明親小学校と改称されました。
明親小学校の設立に尽力した人物として神田兵右衛門がいる。
神田兵右衛門は町兵隊の編成、明親館の建設、兵庫運河の築造水道の布設などで
功績があった人物で、神戸市の初代の市会議長も務められた。
和田神社に神田兵右衛門の顕彰碑があり小生のBlogでも紹介しています。
http://seiyo39.exblog.jp/10180127/
また和田神社のHPにも神田兵右衛門のことを詳しく解説されています。
http://www.kcc.zaq.ne.jp/wadamiya/index.htm
2番目に古い小学校は雲中小学校です。
以上の詳細記事は小生のBlogで紹介
さて、本題の神戸市垂水区の小学校では明治6年(1873)3月に洞養寺(とうようじ)
にできました。現在の神戸市内で5番目に設立されました。
西垂水村の児童が学び児童数は23名程度だったようです。
3年間で卒業するシステムでした。名前は徹道小学校と言っていたようです。
現在の神戸市立垂水小学校の前身となります。
また東垂水村の児童は王林寺(ぎょくりんじ)の境内で洞養寺と同じ時期に児童11名が
学んでいました。王林寺は昔、現在の垂水区役所付近にあったようです。
明治34年(1901)に校舎ができるまでは洞養寺と王林寺の両寺で勉強していました。
名谷地区での小学校ですが明治6年(1873)3月奥畑地区に名渓小学校(石水寺)、
西名・東名・滑・中山に龍華小学校(転法輪寺と明王寺)が設置され明治6年(1873)
6月には名渓小学校が廃止され龍華小学校に合併された。

















