平成23年度神戸市埋蔵文化財センター秋季企画展 江戸時代の兵庫津を見学して |
10月8日から11月27日に開催されており、11月17日に見学することが
できました。
企画展の模様を写真紹介します。
まず、神戸市埋蔵文化財センターからのPRのWebサイトへリンクさせていただきます。

兵庫津遺蹟の発掘は昭和60年度以降50回以上行われています。
今回の展示は江戸時代の発掘物を中心としたもので、また当時の大坂の町と兵庫津を
比較しての展示もあった。
上の写真は兵庫津から発掘された陶器類、胎衣壷、一石五輪塔、甕棺などの展示。
誰が兵庫津を統治していたか?
江戸時代の前の時代、池田恒興が花隈上城の用材を解体して兵庫城を築いた。(1580年)
池田氏が岐阜城に移ると豊臣秀次が尼崎と兵庫津を統治した。
江戸時代に入り兵庫津は尼崎藩により支配された。その城主は元和3年(1617)に尼崎城に
入った戸田氏に始まり、青山氏、松平氏と続き、明和6年(1769)に幕府領に編入されるまで
約150年に及ぶ。
尼崎藩は兵庫城跡に陣屋を置き、兵庫奉行を派遣して支配を行っていた。
1769年、兵庫津から幕府領に編入されると、大坂町奉行所の支配を受けることになり、
勤番所には大坂町奉行所から与力・同心が派遣され、常駐した。
一方、鎖国体制の中、徳川家の代替わり毎に実施された朝鮮通信使は1607年に
兵庫津を寄港して以来、11回朝鮮通信使が兵庫津に寄港した。
寄港先の一つに周防(山口県)上関があり 、以前に訪問した記録があるのでリンクした。


上の2枚の写真は500石クラスの北前船の模型と当時長距離海運を支えた弁才船の
構造を示した資料の写真である。
模型はマルナカ工作所の安倍修氏が江戸時代の図面を基に20分の1の縮尺で
復元したもので、現在は淡路北淡歴史民俗資料館に所蔵されているとのこと。
展示の説明書きより北前船についての解説を引用させていただきます。
「北前船は宝暦・寛政期(1751~1800年)から明治20(1887)年代まで活躍した
船で①船主は日本海地域、②買積み経営、③船型は多様で旧形式の北前船から
弁才船、西洋式帆船まである。大坂から瀬戸内海、日本海と航行し各寄港地で
塩、砂糖、紙、米、鉄などを買って北海道の函館や小樽などで売却、そこで北海道の
干し鮑や魚肥などを購入して上方などに運んだ。以下略」
北前船 潮待ちの港と題して兵庫津を紹介している面白いサイトがありましたので
リンクさせていただきました。
知多半島を拠点として江戸と上方を結んだ尾州廻船とも深いつながりを持っておった事も
兵庫津の発展で忘れてはいけない項目の一つである。
和田神社の常夜燈の献納者に江戸深川の久住五左衛門や、尾州内海の住田屋豊吉などが
名を連ねている。

上の写真は今回の展示室、入口より左半分の展示。

摂津名所図絵に彩色した図で真光寺付近の絵の展示がありましたので載せておきます。
兵庫津に関連した小生のBlogを列挙しておきます。
1.西国街道と兵庫津
2.兵庫津の西の玄関口柳原惣門跡と東の玄関口湊口惣門跡
3.来迎寺(築島寺) 訪問記
4.古代大輪田泊の石椋(いしくら)
5.岡方惣会所跡の碑
6.兵庫城跡 最初の兵庫県庁の地 の石碑
7.兵庫津南仲町 札場の辻跡の碑
8. 中世の港湾都市神戸
9.和田神社
10.平清盛公墓所 八棟寺殿 平相國廟
11.武庫連山海陸古覧(部分)の壁画
12. 真光寺と一遍上人廟所
13.神戸ぶらり探訪(平清盛と高田屋嘉兵衛ゆかりの地 兵庫区南部地区)への参加
14.日宋貿易に関する展示 in 兵庫県立考古博物館
15.神戸市立清風公民館公開講座Ⅱ 平清盛と兵庫を受講して
16.薬仙寺
17.七宮神社
18.高田屋嘉兵衛が奉納した石灯籠 in 鎮守稲荷神社
19.北風正造氏の顕彰碑

















