2011年 12月 03日
JR西日本鷹取駅周辺の散策 その1 大国公園 |
2011年12月2日に鷹取駅周辺を散策した。シリーズで紹介していきます。
本日はその第1回ということで大国公園を写真紹介します。
JR鷹取駅の南から東にかけて浪松町、長楽町、本庄町、運河町がありこの地域を
総称して野田北部地区と呼ばれる。
もとは野田村と呼ばれていた頃の名前が踏襲され地域名となっている。
本日紹介する大国公園は海運町と本庄町の境界にある菱形をした公園である。
場所の位置は下の写真のとおりである。

さて大国公園(だいこくこうえん)の歴史を調べてみると、野田村の双子池があったところを
大正時代に埋め立てられ、須磨大手の権現さんとして著名な証誠神社のお旅所として
使われていました。こちらは出雲大社から大国主命を招請して大国神社となった。
証誠神社=證誠神社 については小生のBlogをご覧ください。
昭和42年(1967)1月9日13時30分不慮の火災で大国神社は焼けてしまい
昭和45年の市会で神戸市が土地購入が決定され昭和46年(1971)に公園となる。
昭和45年(1970)7月お旅所大国神社の御神殿は證誠神社の境内社として遷座。
平成6年(1994)3月に現在のようなひし形の公園となった。
平成7年(1995)の阪神淡路大震災では東側の商店街からの火災をここの木々の
おかげで食い止めることが出来たとのこと。

上の写真は海運町の商店街方面から大国公園を撮ったものです。

上の写真は倒壊鳥居の石を使ったお地蔵様のモニュメント。
モニュメントの材料は、神戸市灘区にある「六甲八幡神社」の倒れた鳥居の石。
東灘区真言宗寺院「理性院」で、神奈川県横須賀市秋谷1の11の11、仏師、
岡倉俊彦さん(1940年生まれ)が、菩薩像、お地蔵の2体に加工した。
お地蔵さんの表側には、海辺や魚をアレンジした彫刻が施されている。
裏面には、「開拓心地」の言葉も刻まれている。

上の写真は復興基準点です。説明書きより引用させていただきます。
復興基準点は、阪神淡路大震災の被災地における土地区画事業、市街地
再開発事業をはじめとする各種の復興事業に役立てるための基準点で、
この地点の位置(経度、緯度、高さ)を正確に示しています。
復興基準点は平成7年度(1995)に地方自治体の協力により、被災地に
500mから1Km間隔で800点設置しました。モニュメントはこの復興基準点を
記念するものです。
この復興基準点No FK200の経度、緯度、高さは
経度 東経135度08分15秒
緯度 北緯 34度39分07秒
高さ 8.8m です。
平成8年(1996)3月 国土庁土地局 建設省国土地理院
測量法改正に伴ない、経度、緯度の数値を変更しました
平成14年(2002)4月 国土交通省国土地理院

上の写真は二子池跡記念碑です。
記念碑の下の説明板には大国公園の由来について書かれています。(上述)
説明板は平成12年1月17日阪神淡路大震災5年の節目に複製された。


上の2枚の写真は阪神淡路大震災時の被災の状況を伝える写真の掲示と
燃えた商店街の街路灯の残骸などが展示されています。

上の写真は大国公園より本庄町方面を撮ったものです。

上の写真は野田北部の美しい町宣言の掲示板です。
神戸長田まちの雑学というサイトに野田北部地区(大国公園も含む)の詳しい
情報が紹介されています。
本日はその第1回ということで大国公園を写真紹介します。
JR鷹取駅の南から東にかけて浪松町、長楽町、本庄町、運河町がありこの地域を
総称して野田北部地区と呼ばれる。
もとは野田村と呼ばれていた頃の名前が踏襲され地域名となっている。
本日紹介する大国公園は海運町と本庄町の境界にある菱形をした公園である。
場所の位置は下の写真のとおりである。

さて大国公園(だいこくこうえん)の歴史を調べてみると、野田村の双子池があったところを
大正時代に埋め立てられ、須磨大手の権現さんとして著名な証誠神社のお旅所として
使われていました。こちらは出雲大社から大国主命を招請して大国神社となった。
証誠神社=證誠神社 については小生のBlogをご覧ください。
昭和42年(1967)1月9日13時30分不慮の火災で大国神社は焼けてしまい
昭和45年の市会で神戸市が土地購入が決定され昭和46年(1971)に公園となる。
昭和45年(1970)7月お旅所大国神社の御神殿は證誠神社の境内社として遷座。
平成6年(1994)3月に現在のようなひし形の公園となった。
平成7年(1995)の阪神淡路大震災では東側の商店街からの火災をここの木々の
おかげで食い止めることが出来たとのこと。

上の写真は海運町の商店街方面から大国公園を撮ったものです。

上の写真は倒壊鳥居の石を使ったお地蔵様のモニュメント。
モニュメントの材料は、神戸市灘区にある「六甲八幡神社」の倒れた鳥居の石。
東灘区真言宗寺院「理性院」で、神奈川県横須賀市秋谷1の11の11、仏師、
岡倉俊彦さん(1940年生まれ)が、菩薩像、お地蔵の2体に加工した。
お地蔵さんの表側には、海辺や魚をアレンジした彫刻が施されている。
裏面には、「開拓心地」の言葉も刻まれている。

上の写真は復興基準点です。説明書きより引用させていただきます。
復興基準点は、阪神淡路大震災の被災地における土地区画事業、市街地
再開発事業をはじめとする各種の復興事業に役立てるための基準点で、
この地点の位置(経度、緯度、高さ)を正確に示しています。
復興基準点は平成7年度(1995)に地方自治体の協力により、被災地に
500mから1Km間隔で800点設置しました。モニュメントはこの復興基準点を
記念するものです。
この復興基準点No FK200の経度、緯度、高さは
経度 東経135度08分15秒
緯度 北緯 34度39分07秒
高さ 8.8m です。
平成8年(1996)3月 国土庁土地局 建設省国土地理院
測量法改正に伴ない、経度、緯度の数値を変更しました
平成14年(2002)4月 国土交通省国土地理院

上の写真は二子池跡記念碑です。
記念碑の下の説明板には大国公園の由来について書かれています。(上述)
説明板は平成12年1月17日阪神淡路大震災5年の節目に複製された。


上の2枚の写真は阪神淡路大震災時の被災の状況を伝える写真の掲示と
燃えた商店街の街路灯の残骸などが展示されています。

上の写真は大国公園より本庄町方面を撮ったものです。

上の写真は野田北部の美しい町宣言の掲示板です。
神戸長田まちの雑学というサイトに野田北部地区(大国公園も含む)の詳しい
情報が紹介されています。
by seiyo39
| 2011-12-03 07:37
| 神戸情報
|
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