姫路城と龍野 散策記 その1 姫路城(1) |
行ってきました。 その様子を写真紹介します。
第1回目は姫路城です。2009年8月8日に姫路城大修理が起工し6年後の
2015年に完成の予定で本丸(天守閣)を中心に修理が進められています。

上の写真は現在工事中の姫路城天守閣の遠景です。(2011-12-12撮影)
天空の白鷺ということで修理の様子を間近で見学することができました。

上の写真は旧西大柱です。
現地の説明書きより引用させていただきます。
(1)旧西大柱
ここに展示しているのは旧西大柱で、この柱は、かって大天守の地階床から六階床
までの各階を、もう一本の東大柱とともに些(いささ)かの躊躇(ためら)いもなく力強く
つらぬき通し、木造の大きく複雑な重層構造を二本の大柱が構造主体となり、一本が
百トンもの重量を支えて三百五十年もの長きにわたり大天守を守り続けてきた。
然しその間、両大柱とも明暦二(1656)年(城主榊原忠次ーただつぐ)に、柱や土台などの
腐朽で床面に高低が生じ、このため大柱の根元を高さ2.4m、柱四面の間仕切り部分を
刳(く)り貫き、ここに幅36cm、奥行きもほぼ同じ大きさの栂(つが)の角材を挿入し、
帯鉄(おびてつ)巻き鋲釘(びょうくぎ)止めで固定するという補強工事が行われた。
その後、貞享四(1684)年には、先の明暦二年に行われた修理材の上に補強材を
加える工事が行われた。
このように築城後350年を大天守と共に歩んできた西大柱が昭和大修理
(昭和31年~昭和39年)で、柱真に腐れのあることが分かり、取替えを余儀なくされ、
新しい柱を後事に託して、今ここに創建材の資料として展示している。
(2)西大柱のこと
旧西大柱の下方は樅(もみ)材、上方が栂(つが)材で三階床上(下方から14.5mの位置)
で二本継ぎになっていたが、全長24.7mにわたり中心部が蒸腐(むれくさ)りを起し再用不能
で今回の修理では、桧材で取替えることになり、旧東大柱と同様、一本材の柱にすることに
なった。
ところが、原木を山から搬出途中に折損事故が起こり、修理では元通り三階床上での
二本継ぎの柱になった。新しく取替えられた桧材は、下方が岐阜県恵那郡付知町の国有林
から、また上方は兵庫県神崎郡市川町笠形神社から伐出されたものである。
ここに展示したのは二本継ぎで使用されていた旧大柱で、明暦二年と貞享四年の修理の痕を
はっきりとみることができる
(3)東大柱のこと
もと、東大柱は樅(もみ)材で、継手なしの通し柱であったが、今回の修理では根元5.4mを
台湾桧で根継ぎして再用された。根継ぎのために切断された旧東大柱の根元部
(長さ5.4m、太さ横幅95.4cm、奥行幅75cm)には、明暦と貞享年間に行われた修理の
痕跡が旧西大柱同様に歴然と残されている。(旧東大柱根元の切断された材は、旧状の儘で
現在、兵庫県立歴史博物館で展示されている。)
(4)旧西大柱の寸法
総長24.7m 上柱の長さ12.4m 下柱の長さ14.5m(継手長さ2.2m)
根元の太さ横幅95.4cm 奥行幅75cm 末径54cm角 総重量約6屯

上の写真は井戸です。
姫路城内曲輪内に33箇所あったらしいが現在は13箇所しか残っていないそうです。
この井戸は深さ8.4m 直径1.7m 水深2mだそうです。
井戸と言えば有名なお菊井があります。(下の写真)

現地の説明書きより引用させていただきます。
永正年間(1500年頃)、姫路城主の小寺則職の執権青山鉄山が主家横領を企てて
いるのを、忠臣衣笠元信の許婚(いいなずけ)で青山家に住みこんでいたお菊が
探知し、元信に知らせ城主の難を救いました。
しかい、鉄山は浦上村宗等の加勢によって則職を追放し、一時主家を横領しました。
村宗等を招いた響宴の際、お菊を恋慕していた町坪弾四朗は家宝の10枚揃いの
皿の1枚を隠し、お菊を責め殺し井戸に投げ込みました。
その後、毎夜この井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえたということです。
やがて、忠臣衣笠元信らが鉄山一味を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として
十二所神社の境内に祀られました。
過去の姫路城訪問記1
過去の姫路城訪問記2

















