神戸市長田区の駒一地蔵尊と徳本上人六字妙号石 |
写真紹介します。(撮影:2011-12-10)
上の写真は駒一地蔵尊と徳本上人六字妙号石の全体写真です。
一番右手の立派な石碑が徳本上人六字妙号石です。
駒ケ林南部自治会が作製された説明書きが掲示されています。
46体のお地蔵様が鎮座されています。
徳本上人六字妙号石の他に六体地蔵や五輪塔があります。
上の写真は徳本上人六字妙号石です。
徳本上人独特の蔦文字と呼ばれる字体で南無阿弥陀仏と書かれています。
写真では前掛けで隠れています。
また台座には三界萬霊の文字が刻まれています。
土台の裏の銘文には文政6年(1823)に建立されたことと世話人3名の名前も
刻印されています。
徳本上人についてWikipediaより引用させていただきます。
徳本(とくほん、宝暦8年(1758年)? - 文政元年10月6日(1818年11月4日)?)は
、江戸時代後期の浄土宗の僧。俗姓は田伏氏。号は名蓮社号誉。
紀伊国日高郡志賀村久志の出身。徳本上人、徳本行者とも呼ばれた。
27歳のとき出家し、木食行を行った。各地を巡り昼夜不断の念仏や苦行を行い、
念仏聖として知られていた。大戒を受戒しようと善導に願い梵網戒経を得、
修道の徳により独学で念仏の奥義を悟ったといわれている。文化11年(1814年)、
江戸増上寺典海の要請により江戸小石川伝通院の一行院に住した。
一行院では庶民に十念を授けるなど教化につとめたが、特に大奥女中で帰依する
者が多かったという。江戸近郊の農村を中心に念仏講を組織し、その範囲は
関東・北陸・近畿まで及んだ。
「流行神」と称されるほどに熱狂的に支持され、諸大名からも崇敬を受けた。
徳本の念仏は、木魚と鉦を激しくたたくという独特な念仏で徳本念仏と呼ばれた。
墓所は一行院。
神戸市内に上人山 徳本寺が白鶴美術館の近くにあり寛政9年(1797)8月に
住吉村の呉田吉田氏の要請で住吉草庵に住んだことがあるようです。
また駒ケ林にも徳本上人は何回か説教に来ているようです。
「鬼ころすこころは丸く田の中に南無阿弥陀仏のうかぶ月かな」という
句も残されています。
上の写真は地蔵尊群のアップ写真です。
この地区では区画整理事業も進められている路地を生かした災害に強い街づくり
がキャッチフレーズのようである。
下の写真は路地の整備が終了した駒一ながさ小路です。
上の写真は路地に埋め込まれた駒一ながさ小路の銘板。