敏馬神社と攝津国風土記の石碑 |
敏馬神社は八部郡の式内社で、旧社格は県社。
江戸時代までは「牛頭天皇」
敏馬神社の基本情報
住所:神戸市灘区岩屋中町4-1-8 TEL:078-861-2091
大石、味泥、岩屋、HAT神戸の産土神
御祭神
素戔嗚尊(すさのうのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
熊野座大神(くまぬにますおおかみ)

上の写真は大正時代初期(1915~1917)に発行の絵図で、敏馬神社の周辺が
描かれています。
浜街道が神社の前を通っており人力車、馬車が往来している。境内には多くの松が
植栽されています。

上の写真は2011-12-16び撮影の敏馬神社の拝殿。

上の写真は敏馬神社の由緒が書かれている攝津国風土記の石碑です。
石碑の裏に書かれている内容 昭和4年(1929)7月4日建立
島田末吉、島田文一郎。
攝津国風土記(713年)の美奴売の松原(みぬめのまつばら)の項に書かれています。
摂津の国の風土記に云はく、美奴売の松原。今、美奴売と称ふは、神の名なり。
其の神は、本、能勢の郡の美奴売山に居りき。昔、息長帶比売の天皇(神功皇后)、
筑紫の国に幸しし時、諸の神祇を川辺の郡の内の神前の松原に集へて、
福を求礼ぎたまひき。
時に、此の神も亦同じく来集ひて、「吾も亦護佑りまつらむ」と曰ひて、仍ち諭ししく、
「吾が住める山に須義の木あり。宜しく、伐り採りて、吾が為に船に造れ。則ち此の
船に乗りて行幸さば、当に幸福あらむ」といひき。天皇、乃ち神の教の隨に、
命せて船を作らしめたまひき。此の神の船、遂に新羅を征ちき。
一ひと云へらく、時に、此の船、大く鳴り響みて、牛の吼ゆるが如く、自然対島の
海より此処に還り到て、乗る法なかりき。仍りて卜占ふに、「神の霊の欲りせすなり」と
曰ひければ、乃て留め置きき。還り来ましし時、此の神を斯の浦に祠ひ祭り、
并せて船を留めて神に献りたまひ、亦、此の地を名づけて美奴売と曰ひき。
境内の説明板には次のように要約されていました。
風土記の記載によれば「美奴売(みぬめ)とは神の名なり。神功皇后が新羅へ
出兵の際、神前松原(現在の阪急神崎川駅近く)で神集いをなされた。その時
能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神が来て、吾が山の杉の木で船を
造り行かれるならば幸いありとのご教示に従い大勝利となった。
ご帰還の節この地で船が動かなくなり再び占い問うと、神の御心なりと
故に美奴売の神様をこの地にお祭りし船も献上した。」
敏馬神社を紹介したBlog(小生のBlog)

















