石川県羽咋市 羽咋の七塚 on 2011-12-20 |
石衝別命(いわつくわけのみこと)、お妃の三足比咩命(みたらしひめのもこと)
その子供である石城別王(いわきわけのおお)にまつわる塚が7つあり羽咋の七塚
と呼ばれいます。
全部の写真を撮れたわけではありませんが、その一部を写真紹介します。
大塚(御陵山)、大谷塚、姫塚、 宝塚、痛子塚、水犬塚、剣塚の7箇所が七塚の
名称となります。
1.大塚(御陵山)
説明板より引用(一部加筆)
垂仁天皇の皇子である石衝別命(いわつくわけのみこと)の墓とされる。
石川県最大の前方後円墳で長さは100mあります。
大正6年(1917)陵墓参考地指定。5世紀中頃の築造で盛り土は唐戸山から
唐人(漢、新羅、百済、高句麗、任那より来た渡来人)が運んだと伝えられています。
また古墳の上に老松があったが宝暦年間(1751-1763)雷による火災で焼けた為
宝倉を建て、周囲の堀が埋め立てられた。
文化年間(1804-1817)に宝倉を羽咋神社の本殿に改築したとき石室が発見された
との記録もあり本念寺の裏庭にある天井石から横穴式石室であろうと推定されます。
上の写真は大塚(御陵山)の正面図。 2011-12-20撮影。
上の写真は羽咋神社境内の御陵山の水を採取する場所です。
昔から万病に効く銘水伝説が語り継がれているようです。
上の写真は羽咋神社の拝殿です。
羽咋神社の基本情報
住所:石川県羽咋市川原町エ164 TEL:0767-22-0817
御祭神:石衝別命(いわつくわけのみこと)
相殿 石城別命 弟苅幡刀辨 道反大神
境内の説明書きより引用(一部修正加筆)
羽咋神社
羽咋神社は延喜式に登史せられ、元県社です。
上古勅命に衣り謁の国(能登の国)の鎮撫使として羽咋の国に御下降なされた
第十一代垂仁天皇の皇子磐衝別命、並びにその御子磐城別王(羽咋の国造)等を、
祀っています。
相撲道場日本最古とも云う歴史と古式を伝えて毎年九月二十五日(命の薨去)に
執行せられる唐戸山神事相撲の有名を約二千年の久しきに亘り連綿永続し、
中古の郷土庶民より羽咋の神と追称せられ今日に及んでいる神社であります。
大正六年九月二十七日御祭神の両墓所(磐衝別命、磐衝別命)が御治定に依り
宮内省より当社に祭祀料等の御下賜あり境内の整備がなされて現況となる。
上の写真はJR羽咋駅前の唐戸山相撲神事に関わるモニュメント。
2.大谷塚(別名:王児塚、観音塚)
上の写真は大谷塚を正面から撮ったものです。
長さ45m、高さ7mぼ円墳で石衝別命(いわつくわけのみこと)と、
お妃の三足比咩命(みたらしひめのもこと)の子供である石城別王(いわきわけのおお)
の墓だと言われています。
はじめは70mほどの前方後円墳だったという説もあります。
また大塚と大谷塚を1つの前方後円墳だったという説もあります。
大谷塚と呼ばれるのは本念寺の墓所が近くにあるためで、観音塚と呼ばれるのは
大正6年(1917)の陵墓参考地指定まで、墳丘上に羽咋の開発土豪稲荷一族の
稲荷社があったためのようです。
3.水犬塚(別名:三犬塚、薬師塚)
上の2枚の写真は水犬塚。
羽咋神社に祀られている石衝別命が、滝崎に棲む怪鳥を射落とした時、命に従って来た
白、黒、斑の三匹の犬が怪鳥の羽を喰わえて喰いちぎったことから、羽咋の地名が起こった
と伝えられている。この古墳は三匹の犬と怪鳥の墓といわれる。
別名の薬師塚は古墳の上に建てられている少名彦名神社のご神体が薬師如来で
あったためである。
入口の井戸は薬師の水と言われ病気に効くと信じられています。
4.宝塚(別名:稲荷山、北方山)
上の2枚の写真が宝塚です。
石衝別命が亡くなった時に遺品などを埋めたところと伝えられています。
明治41年(1908)に約1,000年前の須恵器と土面が発掘されたようです。
5.姫塚
上の2枚の写真は姫塚です。
石衝別命のお妃の三足比咩命(みたらしひめのもこと)の墓と伝えられています。
もとの姫塚はここから少し東にあったようです。
寛文年間(1661-1672)に周囲の堀が埋めたてられた。元は直径20mほどの円墳。
6.剣塚
上の写真はJR羽咋駅前の剣塚です。
7.痛子塚
上の写真は痛子塚です。
羽咋七塚についての詳しい解説 By邪馬台国大研究
http://inoues.net/ruins2/hakui7tuka.html