姫路城と龍野 散策記 その7 龍野赤とんぼ荘周辺の石碑と古墳 |
1.童謡の小径の歌碑
上の写真は童謡の小径の入口の写真です。
下記の7つの碑があります。
曲名 作詞者 作曲者 碑文
里の秋 斉藤信夫 海沼実 作詞者直筆
夕焼け小焼 中村雨紅 草川信 作詞者直筆
七つの子 野口雨情 本居長世 古茂田筆(作詞者の弟子)
ちいさい秋みつけた サトウハチロー 中田喜直 房枝筆(作詞者の妻)
みかんの花咲く丘 加藤省吾 海沼実 作詞者直筆
月の砂漠 加藤まさお 佐々木すぐる 拓本を使用
叱られて 清水かつら 弘田竜太郎 恵子筆(作詞者の娘)
赤とんぼ荘のHPでも紹介されています。
2.白鷺山の古墳
赤とんぼ荘の前に白鷺山の古墳の説明板があり、上の写真のようなモニュメントが
つくられています。説明書きより引用させていただきます。
遠く瀬戸内海を臨み、揖保川の清流と龍野市内を見下ろす白鷺山には、
先人の築いた二つの古墳が知られています。
その一つは、昭和36年(1961)年の赤とんぼ荘建設時に発見された石棺で、
内部には人骨や2面の銅鏡(どうきょう)(市指定文化財)が残っていました。
古墳の年代は古墳時代前期、約1750年前の3世紀と推定されます。
いま一つは、この説明版の足元にある古墳です。大きな石が見えていますが、
これは横穴式石室の天井石と考えられ、年代は古墳時代後期、
約1400年前の6世紀末と推定されます。
これらの古墳に葬られた人は古墳時代の龍野を舞台に活躍し、
眺めのすばらしい白鷺山を永眠の地に選んだのでしょう。
平成17(2005)年3月 龍野市教育委員会
3.三木清 哲学碑とレリ-フ&歌碑
現地の説明板には下記のように三木清が紹介されています。
清は明治30年市内揖西町小神に生まれ、旧制龍野中学、第一高等学校から
京大哲学科、西田幾多郎門下に入った。ドイツに留学ハイデッカーに学び
帰国して名著「パスカルに於ける人間の研究」を著した。
20年脱走した共産党員の友人に食事と衣服を与えたことが治安維持法に
触れて投獄され、戦後9月26日獄死を遂げた。
上の写真は三木清 哲学碑です。
上の2枚の写真は三木清のレリーフ(左の写真)と歌碑(右の写真)
歌碑に次のように書かれています。
「しんじつの 秋の日てれば せんねんに 心をこめて 歩まざらめや」
三木清 氏の解説 By Wikipedia
4.内海青湖の詩碑
上の写真は内海青湖の詩碑(高嶺の花)です。
内海青湖の詩碑は三木清の石碑から哲学の小径を降りたところにあります。
現地の説明板より内海青湖氏の紹介記事を引用させていただきます。
青湖本名は信之、明治17年揖西町小犬丸の酒造家に生まれ与謝野鉄幹の新詩社に
入った。日露戦争の時、トルストイの人道主義、平和主義に影響を受け21編の反戦詩
を発表した。また花を愛し花にちなんだ詩が多くこの一遍は彼の最も愛好したもの。
生来病弱で中央に名を残すことはなかった。また犬養木堂を慕い小木堂と呼ばれた。
龍野市名誉市民。
上の写真は内海青湖の子息で戦後、姫路の文化活動に指導的な役割を果たした
内海繁氏の歌碑です。
5.狐塚古墳
上の写真が狐塚古墳の現況です。
20m程度の円墳または方墳と考えられるが明確にはされていない。
6世紀後半の築造。この地方の有力首長の墓と考えられている。
現地の説明板に玄室の図がありましたので写真を添付します。(下の写真)
場所は龍野市龍野町日山字普興寺554番地
龍野高校の運動場の国旗掲揚側の山手にあります。
尚、昭和29年(1954)龍野高校の運動場拡張工事の際、西宮山古墳(前方後円墳)
は消滅したことが説明板に書かれていました。
南西に小神(おがみ)廃寺があり、南には古代山陽道が通り、付近には揖保群衙
(いぼぐんが)の存在も推定されている。