平清盛ゆかりの地 in京都 その3 法住寺 |
写真撮影日はすべて2011-6-5
法住寺の基本情報
住所:京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655 TEL:075-561-4137
宗派:天台宗 本尊:不動明王
法住寺の歴史
永祚元年(989)に太政大臣藤原為光が急死した娘祇子(しし)=花山天皇の女御の
菩提を弔うために創設された。
長元5年(1033)12月8日火災により消失。
後白河法皇はこの地を院の場所と決め応保元年(1161)に法住寺殿となった。
さらに後白河法皇は平清盛に命じて法住寺境内に蓮華王院(三十三間堂)を造営
させた。三十三間堂造営は長寛2年(1164)のことであった。
蓮華王院(三十三間堂)には父忠盛が建てた得長寿院にならって33間の本堂に
1,001体の十一面千手観音像を安置した。
法住寺殿は、後白河法皇の御所と共に、自分の墓の墓守の意味もある。
また御所を守る新日吉神宮・熊野神社も移した。
安元2年(1176)に後白河上皇の女御建春門院(平滋子)が亡くなると、
女御の御陵として法華堂が建てられた。
寿永2年(1183)木曾義仲の軍勢によって南殿に火がかけられ(法住寺合戦)、
後白河法皇は北の門から新日吉神社へむけ輿にのって逃亡、以後法皇は
六条西洞院の長講堂に移りそこで生涯を終えた。建久3年(1192)であった。
法住寺合戦の折、後白河法皇の身を守るために天台座主の明雲が敵の矢に
倒れた。命拾いした後白河法皇は「不動明王が明雲の姿をかりて、私の
身代わりになってくださった」と涙されたと伝えられている。
これが身代わり不動尊の謂れである。
元禄期には大石内蔵助が参拝したと伝えられ、その縁から四十七士木造が安置されて
いるなど、忠臣蔵縁の寺としても知られている。
上の3枚の写真が現在の法住寺の境内の建物などである。
平家物語を読むための六波羅・法住寺殿復元図が法住寺殿を理解するのに
大変役にたちます。
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