平清盛ゆかりの地 in京都 その6 若一神社 on 2012-1-11 |
訪問しましたので写真紹介します。
若一神社の基本情報
住所:京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98
TEL:075-313-8928 FAX:075-322-2440公式HP http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/05/010/
宮司:中村重義氏
承安年間(1171~1174)、平清盛は、「西八条殿」という別邸を建てた。
別名:西八条第、八条亭、西八条御所
八条壬生がその中心地で六町(約4万2千平方メートル)を有する広大な邸宅であった。
現在の地名では下京区の歓喜寺町、八条坊門町、南区の八条坊門町、八条町に相当する。
西八条殿の西の守護神として紀州熊野の若一王子の御霊を移し設営されたのが
若一神社である。
当時、若一神社の所在する場所付近は浅水の森と称し風光明媚な場所であった。
建立により清盛が勢力を増したことから出世海運の神様として信仰を集めている。
この西八条殿には平清盛の妻 時子が住んでおり、一方清盛は単身で福原の地
(現在の神戸市兵庫区平野)に1169年より約12年間住んでいた。
平清盛が京都に用事がある時(福原在住時に24回あった)は、西八条殿を根城とした。
安元3年(1177)6月の鹿ケ谷の密談事件の後、首謀者の西光法師は清盛に
厳しく詰問を受けこの西八条殿でその処分が決められた。
平家物語の記述では清盛が邸内の庭に蓬(よもぎ)を植えたことから蓬壷とも呼ばれている。
祇王、妓女の姉妹や仏御前の物語もこの邸宅を舞台としています。
娘の徳子(建礼門院)の子供(後の安徳天皇)=清盛の外孫とこの邸宅で遊んでいた
逸話も残されています。(山塊記)
上の写真は西八条殿があった場所を示したもので、梅小路公園の説明板から
撮ったものです。
上の写真は西大路に面している若一神社の森です。
平清盛公のお手植えと伝えられている楠の大木が茂っていました。
愛宕社として信仰を集めているようです。
上の写真は境内にある平清盛像です。
いろんなガイドブックに掲載されています。
上の写真は若一神社の外観写真です。
上の写真は大阪文楽座が奉納したもので、境内の摂社 弁財天が芸能、音楽、福運
に御利益があることに所以し奉納されたものと推定しました。
弁財天は正徳5年(1715)琵琶湖の竹生島から勧請されたものです。
他に、寿命社があり、こちらは豊臣秀吉の時代に高砂城を攻めた時に、場内に社から
御神体である慰(じょう)と姥(うば)を持ち出され若一神社に保管されていましたが
最近、高砂神社に返還されました。
若一神社は西大路七社めぐりの一つになっております。
西大路七社めぐりのコースは下記のとおり
(安産)わら天神宮-(開運)平野神社-(延命長寿)熊野神社衣笠分社-
(建築方除)大将軍八神社-(厄除)春日神社-(開運)若一神社-
(知恵・学問)吉祥院天満宮
これまでの平清盛ゆかりの地 in京都のIndex
平清盛ゆかりの地 in京都 その1 建礼門院御陵 on 2012-1-10
平清盛ゆかりの地 in京都 その2 大原朧の清水
平清盛ゆかりの地 in京都 その3 法住寺
平清盛ゆかりの地 in京都 その4 寂光院
平清盛ゆかりの地 in京都 その5 忠盛灯籠 in 八坂神社