平知章がかぶっていた兜の展示 in 平清盛歴史館 on 2012-2-1 |
紹介します。
撮影:2012-2-1
上の写真が平知盛の子供である平知章がかぶっていた兜で
神戸市須磨区の勝福寺に保管されていたものである。
父親の知盛があわやという時に16歳の平知章がわって入り父親を逃がすことに
成功した話は有名である。
平家物語の第9巻平知章最期の記載(口語訳)には次のように書かれています。
「 新中納言知盛は生田の森で、範頼軍との戦線を捨てて脱出しその軍兵は皆逃げて
いなくなり、今は御子の武蔵守知章、侍の監物太郎頼方という主従三騎になって
助け舟に乗ろうと波打ち際の方へ逃げてきました。
その時に、源氏方の児玉の一党と思しき軍配団扇を紋章にした旗を掲げた
十騎ほどが大声をあげて追いかけてきました。
監物太郎は弓の上手であり、真っ先駆けてきた旗差しの首をひょうふっと射て
馬からさかさまに射落としました。その中で相手の大将と思われる侍が知盛と
組もうと馬を走らせて押し並べてきて組み合ってきたときに、父の急を知った
知章はその中に割って入り、組み打ちを挑んで見事相手の首を斬り立ち上がろうと
したところに、敵の童が加勢にやってきて、武蔵守の首を討ってしまいました。」
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上の写真は平清盛の子供の平重盛と白拍子の祇園女御?との記念撮影。