兵庫津の東の玄関口湊口惣門所の絵 By若林秀岳 |
中から兵庫津の東の玄関口である湊口惣門所跡の絵画を写真紹介します。
この絵は神戸市立中央図書館に所蔵されています。

現在の湊八幡神社に石碑と説明板があります。
昭和4年12月 岡久穀三郎氏と福原潜三郎氏による説明板には下記のように
書かれています。
「西国往還に設けた兵庫の出入口の惣門である。
東より来る西国往還は相生橋より相生町を経て、市電気局前に来り、
進んで此の惣門を入り、兵庫津の湊・江川・木戸・木場・小物屋・北仲の諸町、
今の所謂兵庫本町を進み、南仲町今の神戸商業銀行の前を右折し、
小廣・神明・逆瀬川・東柳原・西柳原の町々を過ぎ、
柳原口にあった柳原惣門を出て、斜めに今の長田交又点に出て、
西代を経て須磨に向かった。
兵庫の惣門は天正年間、池田信輝が織田信長の命にによって、
花熊城を攻略し、その功によりて兵庫を治し、城を築く。
其時、湊口・江川口・永澤口・三川口・問屋口・皆関門番所を設け、
市中にも宮内・匠・松屋・魚棚・島上の諸町に、中濱門として番所を設けたが、
徳川時代に入り、青山氏が此の地を領した時、悉く之を破却し、
湊口・柳原口の西門を残した。
古図によれば、惣門内には何れも番所があった。
更に北番所の傍に高札があったが、幕末の地図によれば門外左側に
高札所が移転している。これは門の修築び当たり番所を廃し、
高札所を門外に移したものと思料する。」
作者の若林秀岳について少し解説させていただきます。
若林秀岳は天保10年(1839)に八部郡二ツ茶屋(現在の神戸市)の商家に
生まれました。幼名は房吉、後に良介と称し晩年に秀岳と改めた。
京都の百々広年に画を学びました。百々広年の死後は独学で修業。
明治34年(1901)に神戸覧古を完成させました。
開港前の神戸の姿が見事に表現されています。
近世の兵庫の津付近は堀と堤防に囲まれた城下町であった。
写真で描かれた湊口惣門所の前の細い流れは都賀堤で兵庫の
外廊に沿って流れていた。この小川に架かった橋を渡り高札物を左に
見て惣門に入っていった。
小生のBlogでも西の玄関口柳原惣門跡とともに紹介しています。
兵庫津の西の玄関口柳原惣門跡と東の玄関口湊口惣門跡

















