姫路城と龍野 散策記 その14 たつの市立 龍野歴史文化資料館と龍野城 |
過去7回は次のとおり。
龍野赤とんぼ荘周辺の石碑と古墳
龍野公園、文学の小径、龍野神社、聚遠亭、野見宿禰神社
畳堤、圓覚寺、光善寺
龍野(玉川)御坊=円光寺又は圓光寺
たつのの和菓子の老舗 觜崎屋 本店
うすくち龍野醤油資料館
たつの如来寺
番外編
龍野赤とんぼ荘からの景観と夕食
本日は、たつの市立 龍野歴史文化資料館と龍野城を紹介します。
龍野歴史文化資料館の基本情報
住所:兵庫県たつの市龍野町上霞城128-3
TEL:0791-63-0907
公式HP http://www.city.tatsuno.lg.jp/rekibun/top.html
たつの市立 龍野歴史文化資料館はたつの市(旧揖保川町)出身の鹿島守之助氏が
創業した八重洲ブックセンターから館建物の寄贈を受けて、1988年10月31日に開館した。
上の写真は龍野歴史文化資料館の建物外観です。
龍野城の中にあり周囲の景観に配慮して建物が設計されたものと思われます。
上の写真は展示の一部で古代山陽道の位置と布勢駅家の位置図です。
古代山陽道は、7世紀における唯一の大路であり、駅家の設置は30里(16Km)毎に
一駅が原則であった。
中国、朝鮮の使節の接待、宿泊もあるため、各駅家は白壁で囲うなど整備されていた。
北海道教育大学釧路校史学研究室が播磨国布勢駅家想像復原図を作製されて
いますのでそのサイトにリンクさせていただきました。
http://www.kus.hokkyodai.ac.jp/users/his1/fuse1.html
http://www.kus.hokkyodai.ac.jp/users/his1/fuse2.html
以下Wikipediaの駅家(えきや又はうまやと読む)より要約引用
兵庫県たつの市の小犬丸遺跡は発掘調査の結果、山陽道の播磨国布勢駅家であることが
確認されたが、こうした事例は少ない。
その背景には郡家が駅家の業務を兼ねているものや駅長の私宅が駅家に充てられたものも
少なくなかったために、駅家の施設部分とそれ以外の部分(郡家施設や駅長およびその
家族の私的空間)との判別が困難なことによる。
現地(小犬丸遺跡)の写真など説明
『延喜式』の諸国駅伝馬条に、駅家・駅路関係の史料を掲載されている。
山陽道
<播磨国駅馬>明石30疋。賀古40疋。草上30疋。大市。布勢。
高田。野磨各20疋。越部。中川各5疋。
上の展示は布勢駅家から出土した軒平瓦。
上の写真は歴代の龍野城の城主の説明と肖像画。
龍野城の城主の変遷について簡単にふれておきます。
龍野城は永正3年(1506)、鶏籠山山頂の山城(朝霧城)が赤松村秀によって
築かれました。赤松氏による支配は四代続きます。赤松氏は天正5(1577)年
豊臣秀吉に城を開け渡しました。その後山麓の平山城(霞城)となり天正9年(1581)
横須賀正勝を皮切りに豊臣家臣による数回の城主交代があります。豊臣家滅亡後、
池田輝政(城代 荒尾成房)が慶長18年(1613)から5代続きます。
寛文12年(1672)信州飯田から脇坂安政が入封し脇坂藩は明治初年まで10代続きました。
現在の本丸御殿は昭和54(1979)年に再建されたものです。
昨年龍野歴史文化資料館で、特別展「龍野城物語」 2011年10月22日~12月4日が
開催されました。これに合わせて龍野を訪問する予定だったのですが残念ながら、
見ることが出来ませんでした。
そこで、龍野城物語を紹介したサイトにリンクさせていただきました。
http://sengokuou.blog121.fc2.com/blog-entry-178.html
上の写真は再建された本丸御殿。
上の写真(2枚)は龍野城の再現された櫓。