NHKスペシャル「邪馬台国を掘る」を視聴して |
最近、纒向遺跡で2009年11月に出土した王宮建物跡の南約40mの地点で
東西に延びる長さ6メートル分の溝などが出土し、2月18日に現地説明会が
あったことから今回整理しておこうと筆をとりました。
俳優でアマチュアの考古学者の苅谷さんは「宮殿エリアの南限は今回の調査地
よりもさらに南側で、今後の調査で電信柱くらいの直径の柵跡が見つかるのでは」
と私見を披露されたそうです。
市教委文化財課の森暢郎技師補は「大型建物跡から南に約40メートルの位置で
今回出土した溝までは遺構が少なく、空間が広がる特別な場所だった
可能性もある」と説明されたそうです。
1910年頃から邪馬台国論争(九州説 VS 近畿説)が始っており現在も決着が
ついていない。
上の写真は詳説日本史図録(山川出版社)のPage24より撮った九州説と
近畿説の説明。(番組の内容ではない)
魏志倭人伝の文章が唯一の史料である、近畿説では伊都国(現在の福岡県糸島市で
帯方郡の使者が常駐していたとされる)以降の方位について南の記述は誤りで
東であると解釈。
魏志倭人伝の内容
「帯方郡(現在の韓国ソウル付近)から卑弥呼の女王国までが里数で記述されていて、
研究者に「里程記事」と呼ばれている。【帯方(たいほう)郡から倭(わ)へ行くのには】
朝鮮半島の海岸づたいに、海上を行く。南に行ったり東に行ったりしながら進むと、
狗邪韓(くやかん)国(釜山付近)に着く。ここまでの距離は7,000余里である。
始めて海を渡ると、1,000余里で対馬(つしま)国(長崎県対馬)に着く。
更に南に海を渡ると、1,000余里で一支(いき)国(長崎県壱岐)に着く。
更に海を渡ると、1,000余里で末盧(まつろ)国(佐賀県東松浦郡名護屋~唐津市)に
着く。陸上を東南に500里行くと、伊都(いと)国(福岡県糸島市)に着く。
東南に奴(な)国がある。距離は100里である。東に行くと不弥(ふみ)国に着く。
距離は100里である。南に投馬(とうま)国がある。海上を20日かかる(水行20日)。
南に邪馬台国がある。女王の都する所である。海上を10日・陸上を1月かかる。
(水行10日・陸行1月)」
上の写真は2010年7月から発掘調査されている纒向遺跡の166次発掘調査地点の
写真と邪馬台国を掘るの題字。
発掘地点はJR桜井線巻向駅の西の隣接地です。
上の写真は纒向遺跡の昔の姿を想像した想定図。
纒向石塚古墳や勝山古墳が描かれている。
上の写真は大和王権(大和朝廷)の中心地である纒向遺跡の中にある箸墓古墳の
映像です。
上の写真は2009年11月に発掘された王宮跡の遺構を基に作成された
王宮の模型 By CG。
参考として小生のBlogよりリンクしておきます。
纒向(まきむく)遺跡現地説明会 on 2009-11-14
卑弥呼の宮殿? 謎の巨大建物 in 纒向遺跡
纒向遺跡から卑弥呼が供えた?2,000個以上の桃の種や竹製のかごが発見
上の写真は纒向遺跡166次調査の土坑(どこう)。
写真中央の黒く色が変わったところ。
上の写真は土坑から出てくる土器、祭祀に使用される木製の剣、桃の実、銅鐸の破片
鹿の骨、魚の骨などが見つかった。
上の2枚の写真は吉野ケ里遺跡で魏志倭人伝記載の居所、城柵、楼観(物見櫓)
宮室(政治棟)の4つが揃っている。纒向ではまだ発掘されていない。
上の写真は邪馬台国九州説の佐賀女子短期大学前学長の高島忠平さんで、
上記の吉野ヶ里遺跡で居所、城柵、楼観(物見櫓)宮室(政治棟)の4つが揃っている
他に鉄器(特に戦の道具)の発達も理由に挙げられていました。
桜井市教育委員会の橋本さんと橿原文化財研究所の寺沢薫さんから纒向遺跡から
出土したものは東海系土器、吉備系、山陰系土器、北陸系土器、阿波地方からの
土器と全国から持ち運ばれたものが出土しており、纒向遺跡が邪馬台国の
中心地であったとの論を展開されておられます。
上の写真は清水眞一氏著の最初の巨大古墳箸墓古墳の図18からのコピーで
オリジナルは桜井市教育委員会によるものです。
纒向遺跡から出土した土器を分類したものです。
下の資料は纒向土器の暦年代を推定したものです。
尚、卑弥呼が生きた時代は190年以降?から248年?です。
下の表では纒向4類 布留0式が追加されていますが、これは岡山の倉敷考古館
の間壁忠彦氏が岡山の土器編年でプロローグ酒津式、エピローグ酒津式という
呼び方をされ、プロローグ酒津布留式がまさしく布留0式に相当するそうです。
暦年代 纒向編年 土器出土遺構 対応する土器型式
180年-210年 纒向1類 北溝北部下層灰粘土層 弥生Ⅴ様式末
210年-250年 纒向2類 辻地区土坑2 庄内Ⅰ式(庄内古式)
250年-270年 纒向3類 南溝南部黒粘土(1)下層 庄内Ⅱ式(庄内新式)
270年-290年 纒向4類 辻地区土坑4下層 庄内Ⅲ式 庄内新新式)布留0式
290年-350年 纒向5類 辻地区土坑4上層辻地区土坑7 布留Ⅰ式
上の写真は名古屋大学の中塚武氏による資料で年輪の中の特殊な酸素(放射性同位元素?)
を分析することで卑弥呼の生きた時代の気候(干ばつの予測)を推定したもので
卑弥呼の前の70年から80年は大雨と干ばつが交互にあり不安定な気候であり
卑弥呼の鬼道に頼らざるをえない環境にあったとの推論をされていました。
卑弥呼の鬼道に関して中国の研究者の研究も踏まえて初期の道教の祭祀の形式について
研究成果が述べられていました。