2012年 04月 07日
兵庫厳島神社 on 2012-4-5 |
2012年4月5日に兵庫厳島神社を訪問しましたので写真紹介します。
兵庫厳島神社の基本情報
住所:神戸市兵庫区永沢町4-4-21 TEL:078-575-8724
主祭神:市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
兵庫厳島神社の説明板より御由緒について引用させていただきます。
「治承四年(1180)、福原遷都の際、平清盛が平家一門の氏神として
深く信仰している安芸国厳島神社をこの地に勧請しました。福原京の
周り七つの地に厳島神社を勧請したので、七弁天と呼ばれ花隈(はなくま)、
佐比江(さぴえ)、西宮内(にしみやうち)、夢野(ゆめの)、真野(まの)、
渦輪(うずわ)とこの社となっています。
他の弁天社が神社や寺と併祀しているのに対し、ここのみが独立して
いたため、渦輪にあった弁天社を合祀して存続しています。」
別の説明書きより補充説明
清盛公はかって安芸守に任ぜられた時より厳島明神を深く信仰していましたので
清盛の福原遷都の時に厳島明神を安芸国より勧請したのです。
兵庫厳島神社の縁起によれば清盛公が兵庫の湊に築島を築こうとされた時、
ある夜の夢に天女が現われ「私は安芸国厳島明神である。この海を暴風雨から
守り、汝の志しを能く成就せしめんが為に来たのである。篤く信仰して必ず
疑うことなかれ」とお告げになりました。清盛公は深く喜び、兵庫の港の守り神
として明神を祀ることにしました。

上の写真は兵庫厳島神社の拝殿です。

上の写真は厳島神社のシンボルでもある大鳥居。

上の写真は伝龍燈の松です。
説明書きより引用させていただきます。
「かって本殿の裏に、樹齢千年にも及ぶ老松があり、清盛公が厳島明神をおまつりする所
を探していた時、この松の梢に燈火がかかるという奇瑞があったので当地を社地に
定めたと伝えられています。のち文政七年(1824)五月五日、沖から燈火が飛来し、
この松にかかり煌々と輝いたので「龍燈の松」と称するようになりました。
太さ約1.5m、高さ約3m程の枯幹が残っていましたが、戦災により消失しました。」

上の写真は摂社の淡島神社(淡嶋神社)です。 医薬の租神である。
女性の守り神である少彦名命・大己貴命・息長足姫命(=神功皇后)が祀られています。
婦人の守り神として女性に崇敬の篤いお社です

上の写真は放生池です。
江戸時代から湧いて井戸の水脈が2年前?に復活! したそうです。

上の写真は針塚の石碑です。
社殿の右手にあります。、全国の淡島社の総本社である和歌山市加太の
淡島神社が針供養で有名な神社であるため、それにちなんで建てられているのでは
ないでしょうか。(神戸の空の下でのHPより)
兵庫厳島神社では、毎年2月8日に盛大に針供養神事が行われています。

上の写真の中に「退筆塚」と彫られた石碑があります。

上の写真は摂社の稲荷社で白萩稲荷大明神と若永稲荷大明神 が祀られています。

上の写真は清盛七弁天の看板です。
看板には次のような説明がされています。
「平清盛が治水のために建立した最初の神社。
江戸時代から湧いて井戸の水脈が2年前に復活! 女性の守り神
「淡島神社」も祀っていて2月8日は「針供養」を盛大に開催する。
裁縫上手と一緒におしゃれ上手になれるようにお祈りしましょう。」
「兵庫七弁天」とは、花隈弁天(花隈厳島神社)、佐比江弁天、夢野弁天、西宮内弁天、
真野弁天、外弁天(兵庫厳島神社)。従って、この七社のうち「厳島神社」と称するのが
上記の二社となる。
大輪田の泊と呼ばれる港を構築した清盛は、多くの人がこの地に長く
“イツク”(定着する)よう厳島神社を建てたともいわれている。
別の説では祭神の「いちきしまひめのみこと」の“いちきしま”が「イツクシマ」になった。
兵庫厳島神社は通称「兵庫弁天」または「外弁天」と呼ばれ親しまれている。
ご利益は、招福、海陸交通安全、芸能学業。
清盛七弁天というのは、治承4年(1180)、神戸に清盛が広島宮島の厳島神社を勧請し、
宮島の7つの海岸にちなみ、7つの弁天を祀ったというものだそうです。
下記の7つである。
1.和田神社(あんぜん弁天)
2.真光寺(おんがく弁天)
3.済鱗寺(べんきょう弁天)
4.恵林寺(うんどう弁天)
5.兵庫厳島神社(おしゃれ弁天)
6.氷室神社(れんあい弁天)
7.花隈厳島神社(けんこう弁天)
別格
来迎寺(築島寺)(松王丸くん)
能福寺(清盛くん)
最後に2012年4月5日訪問時の境内の桜の写真を掲載しておきます。(下の2枚)


兵庫厳島神社の基本情報
住所:神戸市兵庫区永沢町4-4-21 TEL:078-575-8724
主祭神:市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
兵庫厳島神社の説明板より御由緒について引用させていただきます。
「治承四年(1180)、福原遷都の際、平清盛が平家一門の氏神として
深く信仰している安芸国厳島神社をこの地に勧請しました。福原京の
周り七つの地に厳島神社を勧請したので、七弁天と呼ばれ花隈(はなくま)、
佐比江(さぴえ)、西宮内(にしみやうち)、夢野(ゆめの)、真野(まの)、
渦輪(うずわ)とこの社となっています。
他の弁天社が神社や寺と併祀しているのに対し、ここのみが独立して
いたため、渦輪にあった弁天社を合祀して存続しています。」
別の説明書きより補充説明
清盛公はかって安芸守に任ぜられた時より厳島明神を深く信仰していましたので
清盛の福原遷都の時に厳島明神を安芸国より勧請したのです。
兵庫厳島神社の縁起によれば清盛公が兵庫の湊に築島を築こうとされた時、
ある夜の夢に天女が現われ「私は安芸国厳島明神である。この海を暴風雨から
守り、汝の志しを能く成就せしめんが為に来たのである。篤く信仰して必ず
疑うことなかれ」とお告げになりました。清盛公は深く喜び、兵庫の港の守り神
として明神を祀ることにしました。

上の写真は兵庫厳島神社の拝殿です。

上の写真は厳島神社のシンボルでもある大鳥居。

上の写真は伝龍燈の松です。
説明書きより引用させていただきます。
「かって本殿の裏に、樹齢千年にも及ぶ老松があり、清盛公が厳島明神をおまつりする所
を探していた時、この松の梢に燈火がかかるという奇瑞があったので当地を社地に
定めたと伝えられています。のち文政七年(1824)五月五日、沖から燈火が飛来し、
この松にかかり煌々と輝いたので「龍燈の松」と称するようになりました。
太さ約1.5m、高さ約3m程の枯幹が残っていましたが、戦災により消失しました。」

上の写真は摂社の淡島神社(淡嶋神社)です。 医薬の租神である。
女性の守り神である少彦名命・大己貴命・息長足姫命(=神功皇后)が祀られています。
婦人の守り神として女性に崇敬の篤いお社です

上の写真は放生池です。
江戸時代から湧いて井戸の水脈が2年前?に復活! したそうです。

上の写真は針塚の石碑です。
社殿の右手にあります。、全国の淡島社の総本社である和歌山市加太の
淡島神社が針供養で有名な神社であるため、それにちなんで建てられているのでは
ないでしょうか。(神戸の空の下でのHPより)
兵庫厳島神社では、毎年2月8日に盛大に針供養神事が行われています。

上の写真の中に「退筆塚」と彫られた石碑があります。

上の写真は摂社の稲荷社で白萩稲荷大明神と若永稲荷大明神 が祀られています。

上の写真は清盛七弁天の看板です。
看板には次のような説明がされています。
「平清盛が治水のために建立した最初の神社。
江戸時代から湧いて井戸の水脈が2年前に復活! 女性の守り神
「淡島神社」も祀っていて2月8日は「針供養」を盛大に開催する。
裁縫上手と一緒におしゃれ上手になれるようにお祈りしましょう。」
「兵庫七弁天」とは、花隈弁天(花隈厳島神社)、佐比江弁天、夢野弁天、西宮内弁天、
真野弁天、外弁天(兵庫厳島神社)。従って、この七社のうち「厳島神社」と称するのが
上記の二社となる。
大輪田の泊と呼ばれる港を構築した清盛は、多くの人がこの地に長く
“イツク”(定着する)よう厳島神社を建てたともいわれている。
別の説では祭神の「いちきしまひめのみこと」の“いちきしま”が「イツクシマ」になった。
兵庫厳島神社は通称「兵庫弁天」または「外弁天」と呼ばれ親しまれている。
ご利益は、招福、海陸交通安全、芸能学業。
清盛七弁天というのは、治承4年(1180)、神戸に清盛が広島宮島の厳島神社を勧請し、
宮島の7つの海岸にちなみ、7つの弁天を祀ったというものだそうです。
下記の7つである。
1.和田神社(あんぜん弁天)
2.真光寺(おんがく弁天)
3.済鱗寺(べんきょう弁天)
4.恵林寺(うんどう弁天)
5.兵庫厳島神社(おしゃれ弁天)
6.氷室神社(れんあい弁天)
7.花隈厳島神社(けんこう弁天)
別格
来迎寺(築島寺)(松王丸くん)
能福寺(清盛くん)
最後に2012年4月5日訪問時の境内の桜の写真を掲載しておきます。(下の2枚)


by seiyo39
| 2012-04-07 18:21
| 神戸情報
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