最澄像 in 神戸市兵庫区能福寺 on 2012-4-10 |
写真を撮った後、JR兵庫駅で降り、兵庫津周辺を散策した。
兵庫大仏で有名な能福寺の境内に最澄像を見つけましたので写真紹介します。
まず何故ここに最澄像があるかについて調べてみました(Wikipediaで)。
804年7月、最澄37歳は第16代藤原葛麻呂(かどのまろ)遣唐使に随行した。
通訳に門弟の義真を連れ、空海とおなじく九州を出発。9月明州に到着。
天台山に登り、湛然の弟子の道邃と行満(ぎょうまん)について天台教学を学ぶ。
さらに道邃に大乗菩薩戒を受け、翛然(しゅくねん)から禅、順暁から密教を相承する。
805年5月、帰路の途中和田岬(神戸市)に上陸し、最初の密教教化霊場である
能福護国密寺を開創する。7月に上洛、滞在中に書写した経典類は230部460巻。
帰国当時、桓武天皇は病床にあり、宮中で天皇の病気平癒を祈る。
上記のように大輪田泊に上陸して最澄が最初に講話を行った場所に建てられたのが
能福寺と伝えられています。このことから像が建てられたものだと思います。
誰がいつ建てたかは未調査で不明。
天台宗の開祖として有名な最澄についての解説 By Wikipedia(一部加筆)
最澄(さいちょう)(767-822)は、平安時代の僧。日本の天台宗の開祖である。
近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)の豪族の家に生れ、
俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。
生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。
先祖は後漢の孝献帝に連なる登萬貴王(とまきおう)で、応神天皇の時代に日本に
渡来したといわれている。
780年、14歳のとき国分寺僧補欠として11月12日に得度し名を最澄と改めた。
785年、19歳のとき東大寺で具足戒を受ける。同年7月、比叡山に登り山林修行に入り、
大蔵経を読破。
788年、22歳で比叡山に延暦寺を開く
806年(大同元年)1月、最澄の上表により、天台業2人(止観業1人、遮那(しゃな)業1人)
が年分度者となる。これは南都六宗に準じる。これが日本の天台宗の開宗である。
822年6月26日(弘仁13年6月4日)、比叡山の中道院で没
最澄の弟子には円仁(慈覚大師)、円珍などがいる。
最澄の死後、嵯峨天皇から日本初の「伝教大師」の称号が与えられた。
天台宗は密教系の宗派で現存の寺院は数多い。
延暦寺を台密、大日経義釈による京都東寺を東密という。
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