TARUMI de 清盛 神戸市垂水区内の源平ゆかりの地 |
作製されました。(リーフレットは下記の写真を参照)
神戸市垂水区内の源平ゆかりの地を紹介したものです。
神戸新聞社が編著の源平50選神戸(源平と神戸ゆかりの歴史と観光の散策ガイド)
で垂水区から選ばれているのは石水寺の平師盛公塚くらいで平清盛ゆかりの史跡を
見つけるのに苦労するがそんな中、このリーフレットは非常に上手く纏められています。
リーフレットで紹介された場所について私なりに整理して見ました。
1.奥畑大歳神社
住所:神戸市垂水区名谷町3080 連絡TEL:078-707-0188(海神社社務所 )
須磨一ノ谷の合戦で源義経が武運を祈って参拝したとの伝承がある。
古文書によれば、寛文六年(1666年)に、臨済宗南禅寺派の円通山石水寺から
分立したと記載されています。
1月15日前後に弓引きの神事があり、また5月8日には夏祭り10月10日には
例祭があります。例祭では獅子舞もあります。
さらに詳細は小生のBlogで紹介
2.石水寺
住所:神戸市垂水区名谷町3115
TEL:078-791-4834
神戸市生活文化観光局作成の説明書きより要約引用
京都の南禅寺の末寺で天授元年(1375年)に悦捜宗怡(えつそうそうい)禅師により
開山された禅寺です。平師盛は 寿栄3年(1184)2月5日の丹波、三草山の戦いで
源義経に破れ、2月7日須磨一の谷の西城戸に落ち延びました。
この一の谷の合戦のときに従者とともに小舟で逃げようとしますが、舟は転覆し
追っての畠山重忠の郎党により討たれてしまいます。
平師盛の塚は当初、奥畑村の龍華山小松谷にありましたがその後石水寺に
移されました。
当時の戦死者を弔う石塔が名谷に500基以上残っています。 また、寺内には
平清盛の孫師盛(もろもり)を弔ったという石板仏があり、神戸で最古の石仏だと
考えられています。
平成7年(1995)の震災でこの最古の石板仏は倒壊し、現在は2代目の
石板仏としておまつりしています。
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3.舞子の浜(山田の浦)
住所:神戸市垂水区西舞子2丁目
治承4年(1180年)4月5日高倉上皇が厳島神社からの帰り道に山田の浦から
陸路福原に行ったことが平家物語に記載されています。
平清盛が山田の法華堂に遺骨を埋めた記述が吾妻鏡にある。
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4.源平塚
住所:神戸市垂水区塩屋町2丁目 神戸少年の町の敷地に隣接
中央の経緯度 北緯34度38分11.3秒 東経135度5分7.7秒
国土地理院の2万5千分の1の地図での場所
塩屋史跡保存会の説明書きより引用
「源平合戦戦歿者供養塔:寿永3年(1184)2月7日世に言う一の谷の合戦に
於いて一の谷城の西の城門に位置するこの塩屋の地は城の内外の激しい
戦いの中心になって多くの戦没者が出ました。。それらの人達をこの地を
この地の人々はここに葬り又その後供養塔を建立致しました。 昭和58年10月」
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5.御霊神社
住所:神戸市垂水区御霊町3丁目
TARUMI de 清盛のリーフレットより引用
「源平合戦での戦死者が成仏できず、その土地の人々に不幸をもたらしている
という「御霊信仰」のために創建された。
現在は瑞丘八幡神社に合祀されているがその跡地には祠があります。」
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6.下畑大歳神社(乙姫神社)
住所:神戸市垂水区下畑町神の脇437番地
最寄は神戸市バスの柏台停留所よりすぐ。
連絡先は海神社社務所 TEL:078-707-0188
県道21号神戸明石線(旧神明道路)から塩屋北町へ入る西側に、乙姫大明神と
天高稲荷大明神がある。地元では乙姫さん、天高さんの愛称で親しまれている。
承安年間(1171~1174年)に平清盛が建立したと伝えられている神社で、
豊玉姫神と天高稲荷を祀っている。正式には下畑大歳神社と言われています。
下畑海神社は宝暦年間(1751~1763年)に建立されたものであるので、この社が
下畑村の鎮守社であったものであると推察できる。
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