新緑に映える多聞・舞子ウォークに参加してきました on 2012-5-15 |
主催は垂水観光推進協議会
このようなイベントに参加したのは今回で3度目です。
垂水区でのイベントには2回目。
約40名くらい?の参加者で案内は神戸市垂水観光ボランティアの5名の皆様でした。
以前に参加したウォーキングの記録(下記)。
1)神戸ぶらり探訪(平清盛と高田屋嘉兵衛ゆかりの地 兵庫区南部地区)への参加 on 2011-5-15
2)下畑ウォーキングに参加してきました on 2011-11-15
今回のウォーキングは神戸市垂水区多聞・舞子地区の史跡散策で下記のコースであった。
時間:10:00から12:40
多聞寺→多聞六神社→湯屋公園→西方院→多聞寺二天大門跡→多聞寺仁王門跡候補地1
→多聞寺仁王門跡候補地2(舞子墓苑内)→12代神戸市長原口忠次郎氏の墓→武藤山治氏墓所
→石谷の石窟→緑地公園→苔谷公園→JR舞子駅
コースに沿って写真紹介していくと共に過去に書いた小生のBlogにもリンクして
いきます。
(1)多聞寺
小生のBlog(多聞寺とかきつばた on 2010-5-16)
多聞寺の阿弥陀如来坐像(小生のBlog)
神戸13仏(神戸十三仏または神戸十三佛)霊場(小生のBlog)
多聞寺の追儺式 on 2012-1-5(小生のBlog)
心字池にはかきつばたが咲き誇っていました。(上の写真)
多聞寺の住所:神戸市垂水区多聞台2-2-75 TEL:078-782-4445
山号:吉祥山 宗派:天台宗
多聞寺は空海の弟子・慈覚大師により貞観5年(863)開創された天台宗の古刹です。
寺の説明書きでは貞観2年(860)に開創と書かれています。
本堂は正徳2年(1712)の再建と伝えられています。
最盛期には本堂、坊頭が23坊もあったそうです。現存は実相寺、西方院、雅祥院の3坊。
本堂には秘仏の毘沙門天、月光、日光菩薩があります。
(2)多聞六神社
多聞六神社 on 2007-11-12(小生のBlog)
上の写真は多聞六神社の拝殿及び拝殿。
住所:神戸市垂水区多聞台2-17-5 連絡先:078-911-3247(明石岩屋神社)
078-783-6483(多聞六神社総代)
多聞寺の記録によれば安永6年(1777)に明石の岩屋神社よりご分霊を勧請しこの地に
奉祀したものだと推定されている。多聞の氏神さんとか多聞の鎮守さんとか呼ばれています。
創立年代に関し多聞寺と同じ貞観5年(863)とする説もある。
御祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと) 伊弉冉命(いざなみのみこと) 大日霊命
(おおひるめのみこと) 素盞鳴命(すさのおのみこと)月読命(つくよみのみこと)
蛭子命(えびすのみこと)の六神に加えて大山咋命(おおやまくいのかみ)と
天鈿女命(あまのうずめのみこと)が明治37年(1904)に合祀されています。
多聞村はかっては56戸程度の村だったそうです。柏木姓が多い。
参考サイト 明石岩屋神社(小生のBlog)
舞子六神社(小生のBlog)
(3)湯屋公園
本多聞7丁目のバス停付近にある公園である。隆盛を誇っていた多聞寺関連で
湯屋ができ多くの人達で賑わっていたそうです。
風呂好きの平清盛も訪問していたかも知れませんね。(下の旧字名の入道谷)
湯屋のほかに旧字名に折ケ谷、寺町、入道谷、大沢、火ノ蔵、古屋敷、宮山などがある。
(4)西方院
上の写真は西方院の本堂です。
住所:神戸市垂水区本多聞1丁目14-6 TEL:078-782-4523
宗派:真言宗高野山派 山号:吉祥山
公式HP
(5)多聞寺二天大門(総門)跡
上記の石碑から多聞寺の二天門(総門)がこの地に応永20年(1413)から昭和12年(1937)
に存在していたこと、仁王像が応永10年1403)に建立されたことが判ります。
また天明4年(1784)に再興されたことも判ります。
上の写真は川口陽之氏著作の「垂水郷土史」(1991)Page81に掲載の
昭和初期まであった多聞寺大門です。(2012-12-5追記)
多聞会館の前にあります。かっての多聞の村の中心地であった場所です。
明治時代以降の話であるがこの地に物見櫓があったこと。救急車替わりに使用された
人力車が置かれていたそうである。
(6)多聞寺仁王門跡候補地1
上の写真で多聞自動車あたりが西方寺や大門があったと推定されています。
(創建当初の863年から1413年に大門が移転されるまでの間)
前述の多聞寺の塔頭である西方院は元は大門橋付近にあったことからこの付近に
多聞寺の大門があったと推定されている。
(7)多聞寺仁王門跡候補地2(舞子墓苑内)
創建当初の863年から1413年に大門が移転されるまでの間に仁王門があった
とされる候補地です。
(8)12代神戸市長原口忠次郎氏の墓
原口忠次郎先生の顕彰碑
モニュメント 夢レンズ in舞子公園 on 2010-9-4
原口忠次郎先生は明治22年(1889)11月12日に佐賀県で生まれました。
京都大学で土木工学を学び東京で内務省に就職荒川の土木工事に注力しました。
戦後の昭和23年(1948)参議院議員に選出された後、昭和24年(1949)
神戸市長に選出され5期20年にわたり神戸市長を勤めました。
神戸港の発展、六甲ドライブウェイの整備、神戸ポートタワーの建設他
数々の業績があります。明石海峡大橋の建設は原口氏の積年の夢でした。
昭和51年(1976)3月22日に逝去。
(9)武藤山治氏墓所
旧武藤山治邸 訪問記 on 2011-1-29 (小生のBlog)
Wikipediaより要約引用による武藤山治氏(1867~1934)の紹介です。
「1867年4月5日(慶応3年3月1日) - 1934年(昭和9年)3月10日)は、
日本の実業家、政治家(社会党)。鐘紡社長、時事新報社社長などを務めた。
「日本的経営」「経営家族主義」「温情主義」の生みの親とされる。
岐阜県蛇池村(現海津市)出身。慶応義塾大学を卒業後、アメリカに留学し
帰国後佐久間から武藤に改姓、新聞広告扱い所を興す。「米国移住論」を著す。
三井銀行を経て、明治27年(1894)に鐘淵紡績に入社。
日本の民間企業として初めての外資を導入するほか、テイラーの科学的管理法など
新たな経営手法をいち早く導入し 鐘淵紡績の業績を立て直した。
大正10年(1921)に社長に就任。ワシントンで開催された第1回国際労働会議に、
使用者側日本代表として参加。「温情主義」について河上肇博士と論争。
大正13年(1924)、衆議院議員に当選。
昭和3年(1928)、ブラジル移民推進のために南米拓殖会社をつくる。
昭和5年(1930)、鐘紡社長を辞任し、議員活動に専念。
昭和7年(1932)、政界を引退。国民の政治教育のために私財を投じ、国民會舘を設立。
福澤諭吉が創刊した時事新報の社長になる。
昭和9年(1934)3月9日鎌倉の別邸を出たところで福岡県出身の失業者・福島新吉に
銃撃され、翌日死去。
温情主義の経営で知られ鐘紡で初めの健康保険を創立させた。
武藤山治氏の遺言で氏が所有していた舞子墓苑の一角に夫人と合葬(土葬)
されているそうです。
(10)石谷の石窟
上の写真(2011-4-17撮影)は舞子墓苑から明石海峡大橋を臨む景観です。
石谷の石窟のすぐ近くからの景観です。
この写真には写っていませんが写真の左手にイムマヌエル神戸教会の納骨堂が
あります。(イムマヌエル神戸教会は鷹取にある教会で妹尾 河童氏の御両親が熱心に
通われていました。妹尾 河童氏の小説「少年H」に詳述されています)
妹尾 河童氏の御両親もこの納骨堂の中におられると思います?。
舞子古墳群 別名:石谷の石窟 on 2011-4-17(小生のBlog)
石窟は西暦500~620年ごろにつくられた横穴式石室と呼ばれる施設を
表現したもので複数の人が葬られました。
(11)緑地公園(舞子台緑地)
舞子台緑地は平成11年(1999)4月に明石海峡大橋につながるトンネルの上に
整備されました。まいこ水仙郷として水仙が多数植えられています。
(12)苔谷公園
舞子あたりの和歌という名目で和歌や俳句の紹介がありました。(資料も配布)
奈良時代の万葉集から
⑥【柿本朝臣人麻呂の羇旅(たび)の歌 二五四】上の写真
留火之明大門尓 入日哉 榜将別 家当不見(ともしびのあかしおほとに いるひにか こぎわかれなむ いえのあたりみず)
【現代語訳】
明石の海門を通過するころには、いよいよ家郷の大和の山々とも別れることとなる。
この和歌については美声で詠まれて参加者から喝采を浴びました。
⑤【柿本朝臣人麻呂の羇旅(たび)の歌 二五五】
天離 夷之長道従 恋来者 自明門 倭嶋所見(あまざかる ひなのながぢゆ こひくれば あかしのとより やまとしまみゆ)
【現代語訳】
遠く隔たった地方からの長い旅路に、ずっと故郷を恋しく思いつつやって来たら、明石海峡から懐かしい大和の山々が見えてきた。
平安時代の和歌
源兼昌の歌
金葉集巻四冬歌270。小倉百人首の第78番にあります。
「淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬ須磨の関守」
通釈:「夜、須磨の関の近くに宿っていると、淡路島との海峡を通って来る千鳥の鳴く声に、
目を醒まされる。旅人の私も悲哀の情を催すが、須磨の関守はこの声に幾晩眠りを
破られたことだろうか。」
江戸時代の芭蕉の句
「蛸壺やはかなき夢を夏の月」
俳句の意味は「夏の月が、こうこうと夜の海面を照らす海の底で、蛸壺の蛸は捕らわれの
身とも知らず、なんとはかない夢をむさぼっていることだろう」
関連サイト(小生のBlog)
平磯緑地の万葉歌碑
神戸市須磨区の関守神社の源兼昌の歌碑
蛸壺塚
垂水観光ボランティアの皆様の親切な解説のおかげで無事に楽しくウォーキングできた
ことに感謝致します。
尚、垂水観光ボランティアの皆様がひょうご観光ボランティアガイド発表会で
グランプリを獲得されたということに一筆触れさせていただきペンを置きます。
産経ニュース 2012-3-1の電子版より
兵庫県内の観光ボランティアガイドが案内技術を競う「ひょうご観光ボランティアガイド発表会」
が2012年2月29日、神戸市中央区の県民会館で開かれ、10グループ計約100人が参加した。
トップ(知事賞)には、神戸市垂水区の市民らがつくる「垂水観光ボランティア」が選ばれた。
観光ボランティアの支援と相互の連携を強化するのが目的で、県などが平成19年度から
開催しており、今回で5回目。