ヘリヤ商会 |
Helley & Co's Godownsと記載されている。
ヘリヤ商会の茶再製場の跡ということで平成21年(2009)12月2日~平成22年(2010)
1月29日まで発掘調査が行われた場所で現地説明会が2回実施されています。
第1回 現地説明会 平成21年12月25日(金)午前11時00分~午後2時00分
第2回 現地説明会 平成21年12月26日(土)午後1時30分~午後3時00分
現地説明会の様子については神戸トピックスさんのBlogで紹介されています。(下記)
旧居留地の茶工場

上の写真は2009年12月頃撮られた旧神戸外国人居留地遺跡(97番)の全体です。
出典:神戸市教育委員会 「旧神戸外国人居留地遺跡発掘調査報告書」2011.3.31
現在はこの97番の地は神戸市役所4号館(危機管理室)となっています。
下の写真は現在の危機管理室の入口付近です。撮影:2012-6-17


上の写真は同じく危神戸市役所4号館(危機管理室)の外観です。
今回は明治中期から後期のヘリヤ商会について調べてみたものです。
まず明治35年(1902)における神戸の地図がありましたので紹介します(下記)
旧神戸外国人居留地97番の概略の位置を赤字で示しています。
出典:清水吉康著 川上乾一発行 「大阪全図」 明治35.12.10 田村豊盛堂出版社

ヘリヤ商会を語る上で忘れてはならないのはヘリヤ商会の前身がオルト商会であり
オルト商会はWilliam John Alt(1840.4.4-190811.9)が興した会社である。
イギリス生まれの商人で12歳のときキャビンボーイとして船に乗り込み上海に行き、
上海で商人サービスと税関の関係の仕事をした後
19歳で1859年に来日し、長崎で船とか武器を売り日本の紙、お茶などを買い
輸出する商売を始めた。有名な土佐商会とコンタクト。
1868年(明治元年)には大阪にさらに18ヶ月後に横浜に移った。病気のため
1971年にイギリスに戻りロンドンで過ごした後、イタリアRappaloで没した。
詳細は下記のサイトに書かれています。
http://www.nfs.nias.ac.jp/page019.html
1967年(慶応3年)にはヘリヤ商会の創業者Frederick Harold Hellyer(1849-)が
長崎のオルト商会に入社しています。
1869年(明治2年)にオルト商会(Alt &Co.)は廃業し ハント&ヘリヤ商会が創設した。
このとき、Frederick Harold Hellyerの兄弟であるThomas Hellyerが加わった。
この頃には長崎でお茶の買い付けを行っていた。
1873年(明治3年)ヘリヤ商会は神戸に移転。
1892年(明治25年)又新日報「ヘリヤ商会の新発明」に関する記事 (1月30日の記事)
1897年(明治30年)92番ヘリヤ商会 業務製茶輸出
1899年(明治32年)ヘリヤ商会静岡支店開設
1919年(大正8年) 大正7年の輸出 ヘリヤ商会がホイットニー商会に1位の座譲る
1941年(昭和16年)第2次世界大戦でヘリヤ商会の業務停止
1947年(昭和22年)ヘリヤ商会業務再開
1972年(昭和47年)日本法人となる 代表 谷本宏太郎氏
現在も(有)ヘリヤ商会として営業
住所: 420-0005 静岡県 静岡市 葵区北番町17
電話: 0542710334
明治初期に、日本からアメリカに輸出された緑茶の量について述べる
出典:Japanese Green Tea: An American Beverage in the Late Nineteenth Century
Mr. Robert I. Hellyer Lecture 2000-04-17
http://www.asjapan.org/web.php/lectures/2000/04
Robert I. HellyerさんはFrederick Harold Hellyerさんの子孫です。
1868年(明治元年) 11百万ポンド = 4,983トン
1874年(明治7年) 17.5百万ポンド=7,928トン
1879年(明治12年) 28百万ポンド=12,684トン
1881年(明治14年) 42百万ポンド=19,026トン
1881年以降 35-40百万ポンド=15,855-18,120トン
1900年(明治33年) 30百万ポンド=13,590トン
1882年(明治15年)の日本におけるお茶の生産は46.5百万ポンドであることからお茶の
生産の大半は輸出されており、輸出先の90%がUSA向けであった。
1886年(明治19)-1895年(明治28)のアメリカのお茶の輸入量比率は以下のとおり
緑茶:68% ウーロン茶:25% 紅茶:8%

上の写真はヘリヤ商会の茶再製場の復元図。
ヘリヤ商会跡の発掘調査の成果として津波の痕跡が認められたことが話題となりました。
津波の痕跡の確認されたのは今回が初めてだそうです。
津波堆積物が振動する流れを捉えたもので木片の年代測定結果から、17世紀前後から
旧居留地建設までの間であることがわかった。
1707年の宝永地震、1854年の安政南海地震での痕跡の可能性が高い。

















