東大阪市 芝山古墳 NHK「大英博物館 巨大古墳の謎」を視聴して |
を視聴しました。
大英博物館のガウランドコレクションの中から芝山古墳と三瀬丸山古墳について日英の
合同調査チームが調査した内容について紹介されていました。
本日は東大阪市にあり昭和37年(1961)宅地造成により破壊された芝山古墳について
NHKの番組から写真紹介します。
日本の考古学の父とも呼ばれるガウランド氏(William Gowland (1842-1922))は
日本にいた16年間に400以上の古墳を調査し、当時の貴重な写真や測量結果を残しており、
さらに未盗掘だった芝山古墳の調査発掘を明治20年(1887)頃実施しています。
この芝山古墳から出土した出土品を中心に大英博物館に約1000点の出土品を寄贈した。
それがガウランド・コレクションである。
現在の芝山古墳は東大阪市東石切町6丁目に説明板が残されているだけのようです。
いきなりですが、我ら神戸市の教育委員会に所属し、ガウランドコレクションの
調査チームの一員である富山直人氏が芝山古墳の石室に残されていた歯から
石棺がどこに置かれていたかを推定するのに重要な手がかりになる旨の説明を
されていました。
上の写真は芝山古墳からの出土した品々の一部です。
遺物の詳細についてはhttp://www.isekiwalker.com/iseki/110333/
に記載されています。
ガウランドコレクションで知られるWilliam Gowland (1842 – 9 June 1922) は
明治20年(1887)に芝山古墳を調査しています。
上の写真は芝山古墳跡の説明板の写真で昔の芝山古墳(昭和37年頃)の姿です。
また説明板には芝山古墳付近が芝坊主山と呼ばれていたこと全長30mの
前方後円墳で横穴式の石室があり築造年代は5世紀末と書かれています。
番組では築造年代が6世紀前半であると推定されていました。
上の写真は日英の合同調査チームがガウランドが残した調査データを基に出土品を
配置して見たものです。
ほぼ中央に配置された高杯形の器台が、単なる副葬品ではなく死者に対するお祀りの
道具として使われたとの説明がありました。
上の写真は上記の石室内の配置から推定した石棺の位置をCGで示したものです。
被葬者はこの地方の有力者(中臣氏の一族?)であると思われますが
物部氏族のものとする人もいます。
埴輪列がほとんど原位置を保ったままで写真が撮られているのでその間隔など
重要なデータが得られた。
神戸の古墳時代の話題(小生のBlog)にリンクしておきます。