シュウエケ邸 on 2012-3-29 |
報告書の作成も終了しましたので、本Blogへの投稿を再開します。
本日は神戸北野の異人館街に一角にあるシュウエケ邸を写真紹介します。
シュウエケ邸の基本情報
住所:住所:神戸市中央区山本通3丁目-5-17
公式HP
シュエケ邸は明治29年(1896)明治中期に神戸を中心にして多くの建築を手がけた
A.N.ハンセル(1857-1940)の自邸として建てられた建物です。
A.N.ハンセルの英文表記:Alexander Nelson Hansel
その後、シュエケ家の神戸における始祖であるEZRA CHOUEKEが購入したようです。
エズラー シュウエケは1935年29歳のときにシリアのAleppoから日本にやってきました。
上海、香港でも繊維関係の仕事をしていました。
同年、シリアに行き妻ルーシーと結婚し、1936年神戸に戻ってきました。
ユダヤ人同士の結婚であったようです。
関西ユダヤ教団のHP
ユダヤ人と言えば第2次世界大戦のヨーローパ各地で迫害を受けたこと、ユダヤ人
に対して日本通過ビザを5,855枚の発給した日本のシンドラー杉原千畝のことが
思い出されます。
シンドラーに関する小生のBlog
下の写真は敦賀の記念館(人道の港敦賀ムゼウム)でパネル展示されていた
杉原千畝です。 撮影:2011-9-26
人道の港敦賀ムゼウムの公式HPのアドレス
http://www.city.tsuruga.lg.jp/sypher/free/kk-museum/
下のパネルは同じく敦賀の記念館のパネルで1940年7月18日を皮切りに
1日平均300人分の日本通過ビザを発給しつづけたことが書かれています。
上の写真はロシア経由で敦賀の到着したユダヤ人達が宿泊した若六旅館(敦賀市)。
敦賀に到着したユダヤの人達はまるで天国に到着したようだと比喩したそうである。
敦賀から神戸ユダヤ人協会を頼り神戸に来た人も多く、さらに神戸からアメリカや他の地域に
移民していった人が多いそうです。
現在神戸はリトアニアのリガ市と友好都市であるがリトアニアのカウナスにあった日本領事館
における杉原千畝の活躍が影響しているのかも?
上の写真がシュウエケ邸を正面から撮ったものです。
以前は公開されていたようですが、2012-3-29時点では未公開の状態でした。
上の写真(左)は兵庫県がひょうご近代住宅100選(神戸・阪神間の洋風住宅)を
平成22年3月に選んでおり、シュウエケ邸はこれに選ばれています。
又右上の写真は北野・山本地区をまもり、そだてる会が作製したパネルで伝統的建造物
のNo.27として登録されています。主屋、付属家、車庫、門、鉄柵が指定されています。
上の写真はシュエケ家の神戸での始祖シュウエケ エズラーの名前が刻まれたパネルで
母屋の壁に貼り付けてありました。
上の写真は現地に貼ってあった庭から観たシュウエケ邸の写真です。
設計者のA.N.ハンセル(Alexander Nelson Hansell)について簡単に紹介します。
ハンセル(1857-1940)はイギリス人で明治21年(1888)神学校の教師として
来日したが日本では建築家として神戸で数多くの洋風建築を残している。
小生のBlogよりハンセル設計の建物に関するものにリンクしておきます。
神戸華僑総会(旧ゲンセン邸)
神戸クラブと神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ
塩屋 旧グッゲンハイム邸
国指定重要文化財 旧ハンター邸 on 2011-10-3
旧ハッサム邸が改修終え公開中
北野異人館(1)---萌黄の館