敦賀散策記 その9 敦賀市埋蔵文化財展示室の展示 |
の展示写真をお届けします。
撮影:2011-9-28
これまでのシリーズへのリンク
敦賀散策記 その1 お砂持ち神事の銅像 in 氣比神宮前
敦賀散策記 その2 西蓮寺と敦賀城三の丸跡
敦賀散策記 その3 八幡神社と郷土博物館
敦賀散策記 その4 大谷吉継ゆかりの来迎寺
敦賀散策記 その5 大谷吉継ゆかりの永建寺
敦賀散策記 その6 松原小学校
敦賀散策記 その7 男爵の後藤新平書松原公園の碑
敦賀散策記 その8 気比の松原
書き込まれています。時代別に遺跡名を整理していきます。複合遺跡はダブって記載。
旧石器時代
つるがの遺跡
野坂一ノ岳遺跡 (敦賀市野坂) 茂呂型ナイフ形石器
櫛川鉢谷遺跡
弥生時代
舞崎遺跡 (敦賀市舞崎) 高地性集落 *2
舞崎古墳群 (敦賀市舞崎) 4基の方墳 *2
古墳時代(飛鳥時代も含む)
立洞2号墳 (敦賀市井川) 4基あり
宮山1号墳 (敦賀市山泉)
向出山1号墳 (敦賀市吉河)
舞崎前山古墳 (敦賀市舞崎)
衣笠山古墳群 (敦賀市堂)
櫛川遺跡 (敦賀市松葉町櫛川町)
穴地蔵1号墳
奈良時代
愛発関
公文名興門下遺跡(敦賀市公文名)
葉原窯跡(敦賀市葉原) *1
平安時代
松原客館
深山寺経塚群
舞崎経塚
鎌倉時代
大椋神社経塚 (敦賀市大蔵)
南北朝・室町・戦国時代
金ケ崎城跡 (敦賀市金ヶ崎)
天筒山城跡 (敦賀市金ヶ崎)
玄蕃尾城跡
*1 葉原窯跡(はばらかまあと)

上の写真は葉原窯跡から出土の陶器破片です。全部で50箱ほど出土したそうです。
葉原窯跡はいまから1,200年前、須恵器を大量に製造する工場であったところです。
葉原窯跡の調査と整理作業は現在も続けられているそうです。
*2 舞崎遺跡、舞崎古墳群

上の写真は舞崎遺跡と舞崎前山遺跡の位置を示したパネル。

上の写真は舞崎経塚から出土した銅鏡。
この銅鏡は1200年頃に日本で生産されたものと推定されています。
また水銀による錫メッキ=鍍錫(としゃく)が両面に施されている特長があります。
銅鏡は弥生時代、古墳時代の頃は主に輸入された舶載鏡とそれを真似た国産の
仿製鏡(ほうせいきょう)があるその後、漢式鏡、隋唐式鏡、瑞花双鳥八稜鏡、
多度式鏡から和鏡、柄鏡と変遷する。
和鏡は 細縁鏡、中縁鏡、厚縁鏡の3つに分類されます。

上の写真は舞崎遺跡の4基の方墳、経塚の出土位置を示したぱねる。

上の写真は舞崎遺跡(高地性集落)から出土した土器類の展示。

上の写真は畿内産(生駒山中河内)の土器片から再現された土器。
舞崎遺跡(高地性集落)から出土。
他にも近江の野州川付近の粘土からの土器も出土しています。弥生時代に敦賀と
畿内の交流があったことを物語っています。また、舞崎遺跡=天筒山の南端への
「祈り」が古代からあり現在まで引き継がれています。

上の写真は舞崎遺跡の複合遺跡としての変遷を説明したパネルです
高地性集落として当時敦賀の中心地であった吉河ムラとの関わりについても
説明されています。
最後に鉄地金銅装眉庇付冑(てつじこんどうそうまびひさしつきかぶと)のレプリカ
展示の写真(下の写真)を紹介します。

鉄のかぶとの表面に金銅板を張って装飾したもの。鉢の表面に、鉄の部分が六カ所
ずつ交互に配置する「六方白(ろっぽうじろ)」という装飾を施しているのが特徴である。
八幡神社の敦賀郷土博物館にもこのような冑が展示されていたことを思い出しました。