敦賀散策記 その13 敦賀港開港100周年 記念モニュメント |
撮影:2011-9-26
越前国一ノ宮であり必見の敦賀観光スポットです。
氣比神宮は地元では「けいさん」の愛称で親しまれています。
敦賀港開港100周年 記念モニュメントの基本情報
設置場所:福井県敦賀市桜町1
北陸工業瓦斯株式会社 代表取締役 宇野煕氏 寄付をもとに整備
設置年:1999年
これまでのシリーズへのリンク
敦賀散策記 その1 お砂持ち神事の銅像 in 氣比神宮前
敦賀散策記 その2 西蓮寺と敦賀城三の丸跡
敦賀散策記 その3 八幡神社と郷土博物館
敦賀散策記 その4 大谷吉継ゆかりの来迎寺
敦賀散策記 その5 大谷吉継ゆかりの永建寺
敦賀散策記 その6 松原小学校
敦賀散策記 その7 男爵の後藤新平書松原公園の碑
敦賀散策記 その8 気比の松原
敦賀散策記 その9 敦賀市埋蔵文化財展示室の展示
敦賀散策記 その10 敦賀市立博物館とみなとつるが山車会館別館
敦賀散策記 その11 宇宙船艦ヤマト&銀河鉄道999のモニュメント
敦賀散策記 その12 気比神宮
上の2枚の写真が敦賀港開港100周年 記念モニュメントです。
現地の説明板から引用させていただきます。
約1600年の歴史があり、我が国で最も古い港の1つとされている敦賀港。
海という大自然の中で、太陽や星座に進路を求め、風を操り、潮を読み、
人々は知恵を持って自然とコミュニケーションしてきました。
開港100周年を迎え、「北前船」の冒険心、進取の気風を表現した
モニュメントを設置します。
概要
デザイン:風を受けて進む北前船の帆を3連配置し、シンプルでシンボリックに
表現しています。
モビール:帆の上にある多層風車からは「風」を感じることができます。
材質:ステンレス製で「きらめき」と未来の更なる発展を表現しています。
円形広場:海をイメージしたデザインでタイル舗装し、銘板は、北前船の主な
寄港地です。敦賀港を中心として、各港の方位に合わせ、また、
遠い港ほど外側に設置してあります。
照明:床面より、広角照明でライトアップします。
寸法:モニュメント高さ8メートル、広場直径14メートル
説明板には北前船についても説明されています。
上の写真は北前船の各部を説明したものです。
説明板より引用させていただきます。
1.船のなりたち江戸時代、大阪など上方の人たちは北国地方の廻船を北前船と呼んでいました。
はじめは、「北国船」と呼ばれて、筵を帆に用い、風がないときは櫓で漕ぐため
たくさんの水主(船員)が必要でした。
次に、「ハガセ船」といわれる船は、船尾が鳥の「羽交」に似ていることからその
名前がつけられましたが、この船も櫓で漕ぐため、水主たちは大変疲れました。
ところが、「弁才船」と呼ばれる船は木綿の帆で風の力を最大限に利用しているので、
水主もあまり多く必要としないことと、荷物も多く積めるということで北前船として
多く用いられるようになりました。
2.航路と荷物の輸送
寛文12年(1672年)河村端軒によって開かれた西廻り航路によって、その後、
蝦夷地(北海道)と上方(大阪)との間を往復することができました。
酒、紙、米、木綿、塩、筵などを船に積み、5月下旬に蝦夷地へ着き、帰りには
ニシン、昆布、数の子、白子などの海産物を積んで11月に大阪へ戻るという
交易を行っていました。
3.敦賀との関係
約600年前から、京都の商人によって蝦夷地の昆布を敦賀まで運んで、
琵琶湖を渡って京都へ運ばれたのが始まりで、江戸時代に入ると近江商人の
活躍によって敦賀が大切な港町として発展しました。
伊勢茶、美濃茶、近江茶が大量に港から運び出されて活気づき、「茶町」が誕生し、
海産物を輸送するのに筵の需要が高まり、沓見では筵の生産に追われました。
また、船の安定と移出で釘を多く必要とするため、港近くの町には釘づくりの
鍛冶職人が集まりました。
船に用いられた船箪笥、机などの唐木細工では名人、名工が輩出し、現在、
敦賀まつりで牽かれる山車もその工芸品の名残りといえるでしょう。
4.北前船の主な寄港地