敦賀散策記 その18(最終回) JR敦賀駅前にある都怒我阿羅斯等の銅像 |
紹介します。 撮影:2011-9-26
今回の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)の銅像で敦賀散策シリーズの最終回とします。
これまでのシリーズへのリンク
敦賀散策記 その1 お砂持ち神事の銅像 in 氣比神宮前
敦賀散策記 その2 西蓮寺と敦賀城三の丸跡
敦賀散策記 その3 八幡神社と郷土博物館
敦賀散策記 その4 大谷吉継ゆかりの来迎寺
敦賀散策記 その5 大谷吉継ゆかりの永建寺
敦賀散策記 その6 松原小学校
敦賀散策記 その7 男爵の後藤新平書松原公園の碑
敦賀散策記 その8 気比の松原
敦賀散策記 その9 敦賀市埋蔵文化財展示室の展示
敦賀散策記 その10 敦賀市立博物館とみなとつるが山車会館別館
敦賀散策記 その11 宇宙船艦ヤマト&銀河鉄道999のモニュメント
敦賀散策記 その12 気比神宮
敦賀散策記 その13 敦賀港開港100周年 記念モニュメント
敦賀散策記 その14 旧敦賀港駅舎
敦賀散策記 その15 敦賀 赤レンガ倉庫
敦賀散策記 その16 敦賀ムゼウム
敦賀散策記 その17 大谷吉継ゆかりの寺 永賞寺

上の写真がJR敦賀駅前にある都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)の銅像
都怒我阿羅斯等はあくまでも伝説の人物である。
Wikipediaの解説より要約引用させていただきます。
敦賀はもともと角鹿と呼ばれていたが、その地名の由来は都怒我阿羅斯等の渡来に
よるのだという説がある。この渡来伝承は『日本書紀』に書かれ、内容は以下の通 り。
その昔、額に角がある人が船に乗って越前国笥飯浦(敦賀)に着いた。
話を聞くと日本に聖皇(崇神天皇)がいると聞き、加羅国(朝鮮半島南部に存在した国)
から仕えるために来たとのこと。
だが、天皇は崩御したばかりで、次の垂仁天皇に仕え、3年が過ぎて故郷へ帰ることになった。
そのときに崇神天皇(名は御間城入彦五十瓊殖尊)の名を貰い、国名(任那)とした
という話である。この伝説に登場する都怒我阿羅斯等は実在したかどうかは分からない。
ただし、この話は朝鮮半島から数多くの渡来人がやって来ていたことを示すもので、
敦賀に朝鮮と関係のある神社が多いことと合わせ、当時の頻繁な交流を物語っている。
気比神宮の境内に都怒我阿羅斯等を祀る角鹿神社がある。