歴史フォーラム 加古川中流域の後期古墳を語る in兵庫県立小野高校百周年記念館 on 2012-8-5 |
参加してきましたので写真紹介します。
約200名?の参加者があったようである。
この歴史フォーラムは小野市立好古館で7月7日から9月2日まで行われている
夏季特別展 ふるさと発掘展 後期古墳の世界-横穴式石室と木棺直葬-の
関連イベントとして実施されたものです。
歴史フォーラムの演題は下記のとおり。
基調講演 焼山古墳から見た後期古墳 石野 博信氏 (兵庫県立考古博物館館長)
報告1 木棺直葬から横穴式石室-兵庫県内の事例を中心として-
中村 弘氏 (兵庫県立考古博物館館主査)
報告2 加東市の後期古墳
森下 大輔氏 (加東市教育委員会 生涯学習副課長)
討論1 横穴式石室と木棺直葬
討論2 カマド塚
討論は小野市立好古館の西田猛副館長の司会で上記の3人の講演演者で行われた
講演に先立って小野市立好古館の石野館長より挨拶(下の写真)


上の写真は基調講演をされた兵庫県立考古博物館 館長 石野 博信氏
昭和33年関学4回生のときに来迎寺に泊りこんで立命館、奈良文化財研などの方々と
共同で小野市焼山古墳群の発掘調査をされたそうです。
当時地元の中学生も発掘調査に協力されたそうです。

上の写真は木棺直葬から横穴式石室の例を説明される兵庫県立考古博物館主査の
中村 弘氏の講演。

上の写真は加東市の後期古墳について説明される加東市教育委員会 生涯学習副課長の
森下 大輔氏の講演。
カマド塚について名草3,4号墳や中番18号墳さらに小丸山古墳の例をあげ横穴式木室で
火葬が行われていたことに言及された。温度は1,200℃に達していると推定。
時期的には6世紀の後半。

上の写真は討論会の様子です。
焼山古墳群では昭和31年から昭和33年の調査で100を超える古墳があった。
出土須恵器の年代判定から6世紀はじめから7世紀はじめの約100年で
100基の古墳と考え家長である期間が20年として約20家族がこの地域に
暮らしていたと推測できることを説明されました。

上の写真は閉会の挨拶をされた兵庫県立考古博物館副館長の安部 邦明 氏?
昨年は丹波篠山での開催、本年は播磨での開催となった。来年以降も丹後、
但馬、摂津での開催を企画していく予定である。
木棺直葬と横穴式石室の例について小野市好古館の特別展資料より引用させて
いただきます。

上の写真は横穴式石室の例。

上の写真は木棺直葬の例。

上の写真は加古川中流域における木棺直葬と横穴式石室さらにカマド塚の分布。
上の図から明らかに小野市で木棺直葬に集中していることが判る。
これは何故か?これが今回の歴史フォーラムの大命題であった。
結論は出ないが大和政権の影響を古くから受けていた小野市の地域に対して
少し遅れてヤマト政権に帰属していくほかの地域という指摘をされた中村氏の
言葉が強く印象に残った。
次に兵庫県のHP(イベント案内)から
「後期古墳の世界ー横穴式石室と木棺直葬ー」(兵庫県立考古博物館ふるさと発掘展)
http://web.pref.hyogo.jp/kh01/koukohakubutukan.htmlから
加古川中流域の後期古墳の多様な展開ということで
1)横穴式石室 2)木棺直葬 3)カマド塚の代表的な古墳を列挙されていますので
引用転載させていただきます。
1)横穴式石室の古墳
正法寺山古墳、実楽古墳群(三木市)、勝手野古墳群(考古博蔵県指定含む)、
黍田白雲谷古墳、毛無山古墳群、樫山古墳群(小野市)
東山古墳、奥豊部古墳群(多可町)、黒石山古墳群、牧野古墳群(加東市)、
緑ケ丘古墳群、寺内古墳群(西脇市)、ヤクチ古墳、焼野古墳(加西市)
2)木棺直葬墳
焼山古墳群、市場古墳群、キツネ塚、中番・船木古墳群(小野市)、
市場南山古墳群(小野市考古博蔵)、大池7号墳(三木市考古博蔵)、
別所巴1号墳、高木古墳群(三木市)
3)カマド塚
名草古墳群(加東市)、中番・船木古墳群(小野市)
火葬について文武四年(700年)3月10日、法相宗の僧・道昭が亡くなり、
その遺言により遺体が火葬にされた。これが、日本で最初の火葬の記録です。
2年後の大宝二年(702年)には、第41代・あの持統天皇が、やはりその遺言で
火葬にされた事から、その後の文武天皇・元明天皇・元正天皇なども火葬にされ、
天皇家の間にも火葬が普及していく事になります。