兵庫県 小野散策記 その3 神明神社(垂井城跡) |
訪問日:2012-8-5
以前の訪問記
兵庫県 小野散策記 その1 来迎寺
兵庫県 小野散策記 その2 住吉神社
浄土寺は以前に訪問しているので、浄土寺訪問記にリンクしておきます。
小野市の浄土寺訪問記 on 2010-11-30
神明神社(垂井城跡)の基本情報
住所:兵庫県小野市神明町312
住所:0794-63-4585
国土地理院の地図で神明神社(垂井城跡)の位置を示しておきます。
中央の経緯度 北緯34度50分21.5秒 東経134度56分6.5秒
+印が神明神社(垂井城跡)の位置です。
上の写真が神明神社です。
道を迷って神明神社に到達したため、写真が上の1枚しか撮っていません。
神明神社の説明 をWikipediaで見てみると下記のように書かれています。
神明神社(しんめいじんじゃ)は、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)
を総本社とする神社である。神明社(しんめいしゃ)、皇大神社(こうたいじんじゃ)、
天祖神社(てんそじんじゃ)などともいい、通称として「お伊勢さん」と呼ばれることが多い。
建物の形がたしかにお伊勢さんと似ています。
大晦日に神明神社で神火をもらい受け、その火で神棚に献燈し、新春を迎える
風習が今も残っているようである。
この地に垂井氏によって築城された垂井城があったそうです。
垂井城の城主は2説あり、1つは垂井中務丞。別説で別所氏一族の蓬莱氏。
垂井中務丞は垂井荘を本拠とし地頭職を勤めている。
嘉吉の乱(1441)で赤松氏が滅び、以降垂井氏は山名氏の陣営につき垣屋豊遠の家臣
となっている。
山名氏方に付いていた垂井氏が再び赤松氏に付いて垂井城を拠点とした説が有力のようだ。
垂井七郎重治が入って垂井城城主となった記録がある。
その子の垂井武蔵守雅治の時、 天正6年(1578~)の三木合戦が起こり別所方につき
滅亡した。