兵庫県 小野散策記 その7 小野王塚古墳 |
訪問日:2012-8-5
小野王塚古墳の所在地:兵庫県小野市王子町字宮山
以前の訪問記
兵庫県 小野散策記 その1 来迎寺
兵庫県 小野散策記 その2 住吉神社
兵庫県 小野散策記 その3 神明神社(垂井城跡)
兵庫県 小野散策記 その4 小野藩陣屋跡(小野市西本町)
兵庫県 小野散策記 その5 郷土の偉大な歌人上田三四二の歌碑
兵庫県 小野散策記 その6 小野一柳家の氏神磐代神社
浄土寺は以前に訪問しているので、浄土寺訪問記にリンクしておきます。
小野市の浄土寺訪問記 on 2010-11-30

上の写真は小野市役所の駐車場から観た小野王塚古墳。
直径約45m、高さ約7mの円墳。5世紀前半~中頃につくられたものとされています。
全長5mの竪穴式石室が昭和27年の調査で確認されています。

上の写真は現地の説明板に掲載されていたもので、竪穴式石室から出土した
甲冑、胄、鏡です。(左より)

上の写真も同じく現地説明板の写真で、竪穴式石室の様子と副葬品出土状況です。

上の写真は小野王塚古墳の全体写真です。

上の写真は小野王塚古墳の周囲の環濠です。幅約8m、深さ約1mです。

上の写真は王塚古墳の碑のある円墳の頂部付近から小野市役所の庁舎群を
撮ったものです。

上の写真円墳の頂部に設置された王塚古墳の碑。裏には説明書きがあり
昭和37年(1962)に設置されたことが判ります。

上の写真は小野市役所側から撮った小野王塚古墳の遠景。
現地の説明板(平成12年9月小野市教育委員会)より要約引用させていただきます。
県指定文化財 王塚古墳 指定年月日 平成4年3月24日
当古墳は、加古川左岸の中位段丘上に所在しています。直径約45m、高さ約7mの円墳で、
周囲には幅約8m、深さ約1mの堀がめがらされています。
かっては周辺に数多くの古墳が存在し、王子古墳群を形成していましたが、現在は
主墳である当古墳のみとなっています。
昭和27年(1952)には、発掘調査が実施され、古墳の詳細が明らかになっています。
人を埋葬した主体部は、竪穴式石室で、石室内からは副葬品として、鏡(かがみ)、
甲(かぶと)、胄(よろい)、刀(かたな)など豊富な鉄製品が出土しています。
これらの出土品から、築造時期は、古墳時代中期(5世紀中期)と推測されています。
当古墳に葬られた人が誰なのかわかりませんが、当古墳が市内に現存する古墳の中で
最大規模であることから、当時の小野市域でたいへんな力を持っていた有力者の墓と
考えられます。
上記の説明書きには記載されていませんが、槍(やり)、鉾(ほこ)、刀子(とうす)、
鏃(やじり)、碧玉製三輪玉なども出土しています。武器や武具を中心とした豊富な
副葬品は、河内地域に大山古墳(仁徳陵)のような大王墓が築かれるようになった頃
被葬者が王権に軍事面で貢献していたことを物語っています。
鏡は仿製六獣鏡とよばれるものです。
竪穴式石室内には割竹形木棺が収められていました。
この木棺に鎹(かすがい)が使用されていたことが特記される。
現在のところもっとも古い鎹の使用事例は、古墳時代中期半ばの豊中市御獅子塚古墳
であろうと思われます。これに遅れて、姫路市宮山古墳や小野市小野王塚古墳などが
続きました。
この頃の先進国、朝鮮半島の百済や伽耶と日本(倭国)との関係で鉄具の分析から
種々のことが解明されるといいなと思います。
古墳時代前・中期の加古川中流域の古墳は下記のとおりです。
勿論、小野王塚古墳もこの時期に築造されたものです。
玉丘古墳群(加西市)、粟生三ツ塚古墳(小野市)、年ノ神古墳群(考古博蔵県指定含む)、
野々池古墳(三木市)、滝ノ上20号墳(西脇市)