第67代 三條天皇 北山陵 on 2012-5-29 |
撮影:2012-5-29
三條天皇 北山陵の基本情報
住所:京都市北区衣笠西尊上院町
25,000分の1 電子国土基本図地図情報(国土地理院 地図閲覧サービス)による
三條天皇 北山陵の位置を示します。
中央の経緯度 北緯35度2分31.7秒 東経135度43分57.5秒
+印が三條天皇 北山陵のある位置です。

上の写真は三條天皇 北山陵を正面から観たものです。
67代三条天皇について基本事項を記載します。
誕生:天延4年(976)1月3日 崩御:寛仁元年(1017)5月9日 42歳
父親:冷泉天皇 母親:藤原兼家の娘 超子 (藤原道長の姉)
即位期間:寛弘8年(1011)10月16日 36歳~長和5年(1016)1月29日
寛仁元年(1017年)4月に出家
一条天皇の皇太子となり即位したのは36歳のときであった。
一条天皇が32歳の若さで崩御される時に読まれた下記の辞世の句は有名である。
「露の身の 草の宿りに 君をおきて 塵を出でぬる ことをこそ思へ」
(御堂関白記)
一条天皇の解説 By Wikipedia
一条天皇(いちじょう てんのう、天元3年6月1日(980年7月15日) - 寛弘8年6月22日
(1011年7月25日))は、平安時代中期の第66代天皇永観2年(984年)、
花山天皇の時、皇太子に立てられる。寛和2年(986)6月23日(8月1日)、
花山天皇が内裏を抜け出して出家したため、数え年7歳で即位した
(孫の早期即位を狙った兼家の陰謀と言われる)。皇太子には冷泉天皇の皇子居貞親王
(三条天皇)を立て、摂政に藤原兼家が就任した(のちに関白)。

上の写真は三條天皇 北山陵の西側の道路から撮ったものです。
三条天皇北山陵から、鏡石通を約500m北上すると、「一条天皇・三条天皇火葬塚」
があります。場所は京都市北区衣笠鏡石町。

上の写真は三條天皇 北山陵の周辺の住宅街で左大文字が間近に見えます。


上の2枚は三條院(三条天皇)の写真です。
出典:永木徳三編 史蹟と伝説 第2巻 平安・源平篇 (1980)Page156
失明の近い状態で、藤原道長に退位をうながされ譲位を決意した頃に詠まれた
下記の小倉百人首の一句は有名。在位中に2度も内裏(だいり)を炎上するという
不祥事にも見舞われた失意の天皇であったろうと推定されます。
「心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき 夜半(よは)の月かな」
現代語訳:
心ならずも、つらいこの世に生きながらえていたならば、きっと恋しく思い出すに
ちがいない、この夜更けの月であるなあ。
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