神戸競馬発祥の地 神戸「旧居留地」と「東門街」 |
よって行われた競馬が最初とされています。1周1,200mの円形の競馬場で2日間
開催されています。1日目は5レース、2日目に6レースが汲まれこのレースの
優勝賞金は10分(1両は4分)であった。
横浜での競馬は根岸に新しく競馬場が建設され昭和17年(1942)9月26日
~10月18日までの8日間の競馬の開催まで続いています。
一方神戸では明治元年(1868)のクリスマスの日に神戸で初めての競馬が
外国人により旧居留地の東北部で行なわれました。
12レースあり盛況であったようです。後に神戸で有名になったロバート・ヒューズ
は2レースに優勝したそうです。
翌年の1869からは生田神社の東側にあり現在は
繁華街「東門街」となっている場所に1周 1,100mの馬場を備えた競馬場が
造られ、外国人の間では馬券も発売されました。
明治10年(1877)頃まで続けられたそうです。
当時経留置の中に住む外国人の多くは子馬を所有しており競馬クラブの
活動も活発であったことが背景にあるものと思われます。
明治2年(1869)3月に、外国人の競馬クラブ「兵庫レースクラブ」が生まれ
ています。
神戸で最初の英字新聞「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド」(1869年11月20日号)
に1869年に行われた競馬の結果が掲載されました。
上記の話のきっかけになったのは2012年9月13日(木)にJR元町駅から
JRAのあるビルの前を歩いていると下記(写真)の看板を見つけたからである。

上の写真は「摂州神戸西洋人馬駆之図」と呼ばれる錦絵で作者は長谷川小信
(二代目長谷川貞信)である。明治5年~7年(1872~74)頃に製作されたものだ
そうです。当時の服装や周りの景色を観察していると当時の様子が目に焼きついて
印象が残ります。
神戸市立中央図書館の貴重資料デジタルアーカイブ 神戸古版画集でより綺麗な
画像を見ることが出来ますのでリンク先を記しておきます。
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/library/arc/viewers/098.html
2代目 長谷川貞信についてWikipediaより引用させていただきます。
二代 長谷川 貞信(にだい はせがわ さだのぶ、嘉永元年(1848年) - 昭和15年
(1940年)6月21日)は、明治時代から昭和時代にかけての大坂の浮世絵師。
初代長谷川貞信の長男。本名は徳太郎。初め小信(このぶ)と称した。
慶応元年(1865年)頃から小信の号で描き、明治8年(1875年)に父から貞信の
名を譲り受け、2代目長谷川貞信と称した。
初代貞信は役者絵や「浪花百景」などの風景版画の分野を得意として、幕末から
明治初年にかけて上方浮世絵界で活躍したが、2代貞信もその伝統を受け継いで
役者絵を主に描いている。その他に神戸名所、浪花名所、浪花十二景などの風景画、
玩具絵、武者絵、美人画、『日々新聞』の挿絵や銅版画を手がけている。
小信を名乗っている頃には、「播州神戸海岸繁栄之図」を初めとして
神戸・大阪(川口)の居留地などを舞台に、鉄道、鉄橋、西洋館など明治初年の
文明開化の風俗をよく描いた。
小信時代に描かれた神戸を題材にした開化絵は、開港当時の風俗や居留地の
景観を知る数少ない資料として貴重である。また、貞信を継いだ後は、錦絵新聞や
西南戦争に題材を求めた錦絵を多く手がけた。
銅版画や石版画が普及し、浮世絵の需要が衰えた明治10年(1877年)以降には、
商店の引き札(広告)や輸出茶の商標、芝居絵の番付なども描いている。
享年93。墓所は初代と同じ天鷲寺。法名は明徳院貞信遍照居士。

上の写真は競馬場の位置が判る地図で「摂州神戸山手取開図」と呼ばれ
明治5年(1872)頃の神戸の地図である。
生田神社の東側に競馬場と書かれているのがはっきり判る。
6,000坪の土地の広さであったようです。
摂州神戸山手取開図は神戸市立博物館蔵で、元町商店街5丁目に西国街道の説明板
にも引用されています。
小生の紹介記事(元町商店街5丁目の西国街道の説明板)を参照して下さい。

上の写真はJR元町駅前のJRAビルの遠景です。
競馬場に行ったのは小学生の頃父に連れられて淀の競馬場に行った記憶が
残っています。それ以降競馬場の中に入ったことがありません。
小学生当時、淀競馬場はのどかで綺麗な風景だった印象でした。
居留地の競馬について下記文献で詳しく書かれているようです。
中身は読んでいないのでリストアップのみに留めます。
立川健治「神戸居留地における競馬(一)」、『富山大学人文学部紀要』第25号1996年9月、
123-145頁。
立川健治「神戸居留地における競馬(二)」、『富山大学人文学部紀要』第26号1997年3月、
141-213頁。
日本での競馬のが初めて記されているのは続日本紀で大宝元年(701)のことである。
上賀茂神社で葵祭りの際に行われている競午(くらべうま)がその名残であろうと
思われます。近代競馬ではイギリスのダービーが有名で1780年からの歴史を
誇っています。