播州安国寺に残る室町6代将軍足利義教の首塚 0n 2012-9-26 |
写真を撮ってきましたので写真紹介します。
まず、安国寺(播州安国寺)について説明します。
兵庫県加東市にある安国寺(播磨安国寺)は、足利尊氏、直義が後醍醐天皇と
戦没者を弔い及び国家安泰を願い全国一国一寺の安国寺68ヶ寺を1338年
に発願し、1339年開創されたお寺である。
安国寺(播州安国寺)の基本情報
住所:兵庫県加東市新定851 TEL:0795-46-0455
宗派:臨済宗妙心寺派 開基:固山和尚 山号:東渓山
本尊:十一面観音
国土地理院の2万5000分の1の地図で安国寺の位置を示します。
中央の経緯度 北緯34度53分16秒 東経135度2分46.4秒
+印が安国寺(播州安国寺)の位置です。
上の写真は寺門正面からの安国寺。石碑には安国禅寺と書かれています。
上の写真は本堂の前の石庭。よく整備されていました。
上の写真は安国寺本堂。
安国寺(播磨安国寺)は幾度も火災に遭い、本堂は明治時代及び最近再建されている。
上の写真は昔使用されていた宝形造りのお堂の宝珠部分だと思います。
上の写真は安国寺方丈。
上の写真は山門から寺門までの参道の両脇にある八十八箇所めぐりの石仏群。
それでは、本日のハイライトである足利義教の首塚供養塔(宝篋印塔)の話に
入ります。
嘉吉元年(1441)6月24日播磨、備前、美作3国の守護赤松満祐(あかまつ みつすけ)
は京都の私邸(京都西洞院二条)で室町幕府6代将軍足利義教公を殺害します。
さらに将軍の首級を奉じて播州河合(小野市)の堀殿城に帰ります。そこから
足利ゆかりの安国寺で盛大な法要を営んで葬ったと伝えられています。
この事件を嘉吉の乱と呼び「嘉吉物語」や「嘉吉太平記」に詳しく書かれています。
足利義教の首級は7月1日、季瓊真蘂が赤松満祐に会い、義教の首の返還を求めた。
赤松満祐は快く首を返還した。真蘂が京都へ首を持ち帰り、7月6日に等持院で
義教の葬儀が行われた。
従って安国寺に残る宝篋印塔は正確には首塚ではなく供養塔である。
宝篋印塔の写真と宝篋印塔のある森の写真を添付します。(下の2枚の写真)
宝篋印塔のある場所は本堂の裏手にあります。
宝篋印塔は高さ173cm。一重の反花座付き基壇上に建つ。
台石は各面とも輪郭の内に格狭間を、上部は反花を刻む。
軸石の四面に蓮華座付月輪と金剛界の四仏の種子を刻む。
笠の隅飾りは二狐で輪郭をまく。四角で構成された石塔である。
(現地の説明板より引用)
加東市の指定文化財に昭和60年(1985)3月27日に指定されています。