2012年 10月 11日
釿桐(おのぎり)神社 on 2012-10-10 |
神戸市須磨区大手町にある旧大手村の氏神さまである釿桐(おのぎり)神社の
写真を紹介します。 (撮影:2012-10-10)
2013-9-25に須磨歴史倶楽部の兼吉淳二氏の講演資料により補足記載。
釿桐(おのぎり)神社の基本情報
住所:神戸市須磨区大手町2丁目5−15(大手こもり会館)
境内地の住所は大手町2丁目20番地の2 面積:258㎡
TEL:078-731-2743(證誠神社が兼務しています)
公式HP(證誠神社のHPより)
御祭神:誉田別命 ほんだわけのみこと
伊佐奈美命 いざなみのみこと
蒼稲魂命 うかのみたまのみこと
火産霊神 ほむすびのかみ
例大祭:4月16日
釿桐(おのぎり)神社と読みます。一般には子守神社で通っています。
地元ではこうもりさんとの愛称で呼ばれることもある。
夜泣きする子供を守ってくださる神様だそうです。
昭和初期に東細沢谷川(まとう谷川)が暗渠になり神社敷地が整備され
社殿、社務所、集会所、鳥居などが700坪の敷地内に新築された。
子供たちの遊び場でもあり、紙芝居も境内で行われていたようです。
紙芝居では「怪傑白頭巾」、「鞍馬天狗」、「黄金バッド」などが上演され
5銭か10銭?程度で水飴や餅おでんなどが売られていた。
「武庫郡誌」によりますと
「大手字子守前にあり、明治40年10月4日、同字子守前に鎮座ありし、
『無各社子守神社』、同字北の所にありし『無各社倚金(よりかね)神社』、及び
同字宮之浦にありし『無各社荒(こう)神社』を合併し」、と記載されております。
上記のように三社が合祀され子守神社の境内に祀られたため「こうもりさん」という名前
が定着したようである。
釿桐は神社などの大工道具として用いられる手斧(ちょうの)=釿(おの)と
同義であり桐は神社建築の材料として用いられるのでこのような名前が
ついたのか?
手斧始(ちょうのはじめ)
岩国で手斧始(ちょうのはじめ)の儀式を観ましたその時の様子です。
須磨楽歩(兵庫県神社庁 神戸支部編著 神戸新聞総合出版センター)によれば
勝福寺と證誠神社の中間にあり、かっては籠り堂(隠堂=こもりどう)であったと
考えられる。明治40年(1907)の三社の合祀の折に釿桐神社と名付けられた。

上の写真は釿桐神社の遠景です。バックは大手こもり会館の建物です。

上の写真は上記写真の少しアップしたものです。
玉垣の中に神戸の歴史研究に貢献されている田辺真人先生の名前も載っています。
兼吉一族の名前が圧倒的に多い。

上の写真は正面から見た釿桐神社です。

子守神社の看板が入った釿桐神社の遠景写真です。
写真を紹介します。 (撮影:2012-10-10)
2013-9-25に須磨歴史倶楽部の兼吉淳二氏の講演資料により補足記載。
釿桐(おのぎり)神社の基本情報
住所:神戸市須磨区大手町2丁目5−15(大手こもり会館)
境内地の住所は大手町2丁目20番地の2 面積:258㎡
TEL:078-731-2743(證誠神社が兼務しています)
公式HP(證誠神社のHPより)
御祭神:誉田別命 ほんだわけのみこと
伊佐奈美命 いざなみのみこと
蒼稲魂命 うかのみたまのみこと
火産霊神 ほむすびのかみ
例大祭:4月16日
釿桐(おのぎり)神社と読みます。一般には子守神社で通っています。
地元ではこうもりさんとの愛称で呼ばれることもある。
夜泣きする子供を守ってくださる神様だそうです。
昭和初期に東細沢谷川(まとう谷川)が暗渠になり神社敷地が整備され
社殿、社務所、集会所、鳥居などが700坪の敷地内に新築された。
子供たちの遊び場でもあり、紙芝居も境内で行われていたようです。
紙芝居では「怪傑白頭巾」、「鞍馬天狗」、「黄金バッド」などが上演され
5銭か10銭?程度で水飴や餅おでんなどが売られていた。
「武庫郡誌」によりますと
「大手字子守前にあり、明治40年10月4日、同字子守前に鎮座ありし、
『無各社子守神社』、同字北の所にありし『無各社倚金(よりかね)神社』、及び
同字宮之浦にありし『無各社荒(こう)神社』を合併し」、と記載されております。
上記のように三社が合祀され子守神社の境内に祀られたため「こうもりさん」という名前
が定着したようである。
釿桐は神社などの大工道具として用いられる手斧(ちょうの)=釿(おの)と
同義であり桐は神社建築の材料として用いられるのでこのような名前が
ついたのか?
手斧始(ちょうのはじめ)
岩国で手斧始(ちょうのはじめ)の儀式を観ましたその時の様子です。
須磨楽歩(兵庫県神社庁 神戸支部編著 神戸新聞総合出版センター)によれば
勝福寺と證誠神社の中間にあり、かっては籠り堂(隠堂=こもりどう)であったと
考えられる。明治40年(1907)の三社の合祀の折に釿桐神社と名付けられた。

上の写真は釿桐神社の遠景です。バックは大手こもり会館の建物です。

上の写真は上記写真の少しアップしたものです。
玉垣の中に神戸の歴史研究に貢献されている田辺真人先生の名前も載っています。
兼吉一族の名前が圧倒的に多い。

上の写真は正面から見た釿桐神社です。

子守神社の看板が入った釿桐神社の遠景写真です。
by seiyo39
| 2012-10-11 08:30
| 神戸情報
|
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