明石港の旧灯台 on 2012-10-26 |
撮影:2012-10-26
明石港旧灯台の所在地:明石市港町3

上の写真は明石港と淡路岩屋港を結ぶ淡路ジェノバライン(子午線ライン)の
待合室から撮った明石港旧灯台です。

上の写真は現地まで行って撮った明石港旧灯台の写真です。
付近は釣のメッカらしく釣り人が多くおられました。

上の写真は現地の説明板です。下記のように記載されています。
明石港旧灯台の沿革
明石港の灯台は1657年(明暦3年)に明石藩主松平忠国によって舟人の目標とする
燈明台(とうみょうだい)として造られたといわれています。
明治以前の「航路標識年表」(1968年 第五管区海上保安本部刊)によれば、
近畿で四番目に造られた灯台となります。
その当時は、江戸へ荷物を運ぶ菱垣廻船が活躍しはじめ、明石港も瀬戸内海の
物資の交易のため、潮流の速い海峡の潮まち港として、また淡路への連絡港
として重要な位置を占めるようになってきた頃です。
大正時代の写真には、港口を行き交う帆船とともに、木製の燈籠部も写っており、
昔の姿がしのばれます。
昭和7年(1932)に改修が行われて灯台となり、明石市が管理することになりましたが、
終戦後、連合軍の指令により、昭和26年(1951)5月明石市から国へ移管されました。
昭和38年(1963)3月、灯台としての機能が廃止され、照明機器などは撤去されましたが、
本体そのものは国有財産として残されていました。
その後、この灯台は港の歴史を示すシンボルであり、明石の貴重な歴史資産である
ということで、昭和60年代の初め頃から、兵庫県と明石市が国に対して譲渡の働きかけ
を行い、平成11年(1999)9月に明石市に譲渡されたものです。


上の2枚の写真はおしゃたかな舟の神事で有名な明石浦の岩屋神社から南に
海岸まで出たところから撮影した明石港旧灯台の写真です。
明石港は平安時代前期の承和12年(845)明石浜(港)と石屋浜(淡路市)に
初めて舟と渡し守が設置されたのが始まり。
出典:続日本後記(貞観11年(869)の仁明(にんみょう)天皇の条
さらに古くには日本書紀(養老4年(720)の允恭(いんぎょう)天皇の条に
海人(あま)の男狭磯(おさじ)の伝承がありその中に5世紀以前に明石に
港らしいものがあったとの記述があります。
近世に入り、信州松本藩から移封され明石城の初代城主となった小笠原忠真
(ただざね)が元和7年(1621)に明石港(新港)の建設に着手した。
これが現在の明石港のベースになっています。
その後下記のように明石港は整備されていった。
寛永10年(1633) 波止崎の石垣を築く
寛永13年(1636) 内川を改修
万治年中(1658~)藩主松平信之(のぶゆき)が港内の堀浚えをした
享保6年 (1721) 内川の永代堀りがはじまる
元文元年 (1736) 永代堀りに代わって砂船はじまる。砂留役所が置かれる。
宝暦2年 (1752) 町人らが新波止を築造
天保19年(1839) 波止崎付近の堀浚えをした
明石城の城主は下記のとおりです。
明石城の築城は元和4年(1618)で初代城主は小笠原忠真。
この頃船上城から現在の明石城の位置に築城されました。
2代目城主は松平庸直(1633-1634)
3代目城主は松平光重(1634-1639)
4代目城主は大久保 忠職(1639-1649)
5代目城主は松平山城守忠国(1649-1659)
6代目城主は松平日向守信之(1659-1679)
7代目城主は本多政利(1679-1682)
8代目城主は松平直明(1682-1721)
以降松平(越前)家が廃藩置県まで明石城主として続いた。
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