朝光寺 訪問記 on 2012-9-26 |
兵庫県内にも数えるほどしかない国宝の朝光寺本堂も拝観してきました。
朝光寺の基本情報
住所:兵庫県加東市社町畑609
TEL:0795-44-0735
山号:鹿野山(ろくやさん)宗派:高野山真言宗
御本尊:2躯の十一面千手千眼観世音菩薩立像
朝光寺の地図(国土地理院2万5000分の1の地図)
中央の経緯度 北緯34度55分57.7秒 東経135度2分39.9秒
+印が朝光寺の位置です。

上の写真は朝光寺の伽藍の配置図の説明板です。

上の写真は国宝、重要文化財などの指定建築物などをリストアップした説明板です。
まず、国宝の朝光寺本堂の写真を紹介します。


上の2枚の写真は本堂の建物。
重要文化財の指定 大正12年3月28日 国宝には昭和29年(1954)3月20日
厨子嵌板墨書に本堂の仏壇が応永20年(1413)8月15日に建立されたこと
上瓦が応永35年(1428)5月15日から始まり正長元年(1428)10月21日に
葺き替えが完了したこと。御本尊の移徒が応永20年(1413)8月15日に
行われたことが記載されています。
また瓦に作者の銘が確認されているものとして天文16年(1547)10月26日
大和国西之京住人瓦大工橘朝臣国次があります。
解体修理は最近では2012年1月瓦の葺き替え、昭和11年(1935)解体修理が
行われています。
2012年の瓦の吹き替え工事を紹介したサイト。
http://www42.tok2.com/home/yamaaso/nikki/chokoji.html

上の写真は本堂と鐘楼(右手)を撮ったものです。

上の写真は本堂正面の鰐口、蛙又、木鼻などを撮ったものです。

上の写真は本堂内部の外陣の建屋構造。
朝光寺は白雉2年(651)法道仙人が開基したという伝承をもつ。
元は北にある権現山にありましたが、平安末期1189年(文治5年)に現在の地に
移転したと言われています。
法華山に住んでいた法道仙人が遥かにこの峰(権現山)を望み見て、早朝ごとに瑞光が
高く昇るのを見て、その光に尋ねてこの山の下(鹿野という権現山の麓)に来て
池の畦の老松の陰で休息していると高い冠と美しい衣服をまとった老翁がやって来て
「我は住吉大神である」と名乗り、法道仙人に乞い「千手大悲観世音菩薩」を彫造して
権現山上に祀った。これを朝光寺の始とする。(播磨鑑より)
「亀山上皇院宣」朝光寺文書に、弘安9年(1286)閏一二月四日、亀山上皇は
久米預所下野左衛門尉に対して、本免三段に加え七段を御祈祷料所として
「当庄内朝光寺」に寄進することを命じる文書が残っていることから1286年より
古い時代の建立されたのは確実である。
次に国の重要文化財に指定されている鐘楼の写真を紹介します。

上の写真が鐘楼の建物です。現地の説明板から引用掲載させていただきます。
重要文化財 朝光寺鐘楼
(昭和29年9月17日指定)
この鐘楼も本堂同様平安末期に現在の地に移されたと伝えられる。
桁行3間、梁間2間、4柱注造銅板葦袴腰付の建築で全国的にも類例の少ない
貴重な遺構である。
和様を基調とする様式手法で、屋根の優美な曲線などに鎌倉後期の建築の特徴を
よく表現しているちいわれ、本堂よりも早い時期の建立と見られている。
室町後期、赤松義村ら多くの播磨国主の崇敬を受けて、いくたびかの修理を
重ねたという。多宝塔にも姫路藩主池田三左衛門輝政の再建寄進銘があるなど、
国主豪族の庇護のもとに隆盛を誇った往時がそのばれる。
加東市・加東市観光協会
天明6年(1786)、昭和31年(1956)に修理の記録がある。
次に多宝塔の写真を紹介します。


相輪の露板の銘に慶長6年(1601)があります。
姫路藩主の池田輝政公が大修理を行ったときのものである。
宝永7年(1710)土岐伊予守により修理されています。

上の写真は寺師義正氏の著である兵庫の塔 平成6年発行のPage 41からのコピーで
多宝塔の各所の名称を図示したものです。(参考のため添付しました)
次に山門(仁王門)の写真を紹介します。

上の写真は朝光寺山門です。
文治年間(1185-1189)の創建。現在の3間1戸の八脚門形式は江戸初期から
中期の様式を示している。
昭和59年(1984)屋根葺き替えなどの大修理が行われたそうです。


上の2枚の写真は仁王像(金剛力士像)です。
朝光寺の境内にはいたるところに石仏が鎮座しています。


上の写真は文殊菩薩像と弘法大師像です。

















